「俺の胸で溺れてみねぇ?」

「・・・。」

「こうみえても好きな女には一途なのよ、俺。」

「余所あたれば?」

つい先日、仕事帰りに何気なく寄った一軒の居酒屋。

すべてはそこから始まった。










――― opening of the love ―――










キンキンに冷えたビールを飲み、仕事のストレスを流してしまう。
あんまり気負っても仕方ない。
なるようにしかならない現実ってのもあるんだから。
かといって、それが易々と通じる相手ならこんなに頭を悩ましてない。
最近頭が固い連中が増えて、こっちがよけいに頭固くなるってえの。

「まったく・・・。」

残っていたビールを一気に流し込み、追加のビールをオーダーした。

「素面じゃやってられないって。」

何度もグラスを傾けて嫌なことを頭から追い出す。
酔いもだいぶ回ってきたのもあり、グラスを弄びながら店内に視線を泳がせた。
その時、鮮やかな紅が目に入った。
居酒屋の奥ばった一角のテーブルを占拠している紅とそれを取り囲んでいる花の群れ。
両手どころか、よりどりみどり、選び放題って感じ?
あんなんで何が楽しいんだか。
浮気性なヤツは嫌い。
仕事も出来ない。
何に対しても軽く考えてるからだろうけど、それが嫌いだ。
軽く溜息を吐き出して視線を逸らそうとした時、紅い瞳と目が合った。
一瞬だけ。
本当に目が合ったのかすら疑問に思う程の時間。
何故だか心を奪われそうで、無意識のうちに睨み付けていたような気がした。
後味の悪さを誤魔化すようにビールを飲み干してからは席を立った。
会計を済ませて外に出る。
店内の冷気とは裏腹に湿った暑い空気がまとわりついてくる。
秋になったばかりとはいえ、まだまだ湿度は高かった。
長い髪をかきあげ、さて、とばかりに歩き出す。
酔いつぶれるまで飲みたかった。
嫌な事が多すぎる。
そんな思いとは裏腹に、明日も待ち受ける仕事の山。
休むことも出来ずに、日々積み重なっていくストレスに嫌気がさす。
それを洗い流したかったのに、何故かあの場所に居たくなかった。
その原因は間違いなくあの紅い瞳。

「もう!どうしてくれるのよ・・・ったく。ばかやろう。」

やり場のない怒りを吐き出して、は通りかかったタクシーを拾った。










いつものように淋しさを紛らわせる。
心の中にぽっかり空いた空間が冷たくて。
それを知っているのに、知らないように。
誤魔化しながら毎日を生きている。
誤魔化す事なんて、楽なもんだ。
考えないように、違うことに溺れればいい。
賭博に女。
一言声をかけて、ウインクの一つでもしてやれば何も言わずについてくる。
やるだけの関係は後腐れがなくて・・・楽でいい。
だから特定の女は作らない。
作る必要もない。
そう思ってた。
あの時までは。


行きつけの居酒屋で夜を過ごす。
相変わらず数人の女もついて来た。
笑いながら、何気ない話しに花を咲かせる女達。
適当に相槌を打ちながら、悟浄はふっと視線をめぐらせた。
カウンターに一人で座っている女性。
勢いよく飲み進めている様は、連れのいないのを物語っていた。
スーツに身を包み、何者をも拒絶しているような雰囲気が背中から見て取れる。
何が気になったってワケじゃねぇけど、理屈じゃなしに気になった。
女達の話を上の空で聞き流し、ただ一箇所を見つめる。
視線の先の彼女が一度でもいいから自分の方を見てくれることを願って。

「くくくっ。」
「どうしたの、悟浄?」
「なんでもねぇ。こっちのこと。」

願うだってよ、この俺が?
柄じゃねぇってぇか、あり得ないだろって。
ホント笑っちまうぜ。
願って叶うならいくらでも願ってやるさ。
この淋しさをなくせるなら、いくらでも・・・。

「・・・マジかよ。」

笑い飛ばした矢先、カウンターの彼女が動いた。
そして一瞬だけ交わる視線。
睨み付けられて逸らされた瞳に囚われたような気がした。
視線を逸らせないでいると、彼女は残っていたグラスを一気に傾けた後に席を立った。
隣に置いていたカバンを取り、会計に向かう。
逃げられる。
この出会いだけで・・・出会いと呼べるかも怪しいが、それでも今を逃したらもう二度と会えない。
そう思った。
纏わりつく女達を押しのけて、悟浄は急いで店の外に飛び出した。
左右を見回し彼女の姿を探す。
夜の街。
しかも飲み屋街とくれば、人通りも多い。
千鳥足のサラリーマンや客引きの女どもは見て取れても、目当ての彼女の姿は見つけられない。

「クソッ」

どっちだ?
どっちに行った?
苛立つ感情を押さえつけて、意を決して走りだした。
確信なんてねぇ。
捕まえられるか、逃げられるか。
そんな事分からねぇ。
けどよ?
運命ってもんがあんなら、必ず捕まえられる。
願って叶ったくらいだしな。
ぜってぇ、逃がさねぇ。

人波を掻き分けながら走っていると、前方の通りで手を挙げている彼女を見つけた。
そこに滑り込むように停まる一台のタクシー。
後部のドアが開き、乗り込もうとしている彼女を呼び止めようと口を開いた。
そして暫し固まる。
喋った事もないし、面識すらないってえのに、何て声かけりゃいいんだ?
思ったのは一瞬だけで自然と言葉が口から出た。

「待てよ!」

あり得ないくらい上ずった声に自分でも驚きながら、振り返った彼女の腕を掴んでいた。
驚きの色濃い瞳が悟浄を捕らえる。

「俺の胸で溺れてみねぇ?」
「・・・。」
「こうみえても好きな女には一途なのよ、俺。」
「余所あたれば?」

初めての拒絶。
初めての感情。
失いたくない現実。
悟浄の想い虚しく、振りほどかれる腕。
行き場を失った腕がだらんと下がる中、彼女はタクシーに乗り込み去って行った。










「バカでしょ、貴方。」
「バッ、バカってよお」
「開口一番に何処にそんな言葉かける人がいるっていうんですか。」
「うっ。」

言葉を無くす悟浄に冷ややかな目を向けながら、八戒は珈琲サイフォンから出来たての珈琲をカップに注いだ。
それを未だ言葉を無くし、頭を抱えている悟浄の前に差し出す。

「で?」
「で?ってお前・・・。」
「他に何か言って欲しいんですか?」

そうだ。
こいつに何かを期待した俺がバカだった。
昨日の事があまりにショックでついつい相談してしまった。
再びガックリとうなだれながら、タバコに火を点ける。
無造作に長い前髪を掻き上げながら、紫煙と共に溜息を吐き出した。

「そもそも自業自得なんですよ。」
「・・・解んねぇだろ。」
「いいえ。そのての女性は全てお見通しですよ。」

満面の笑みでグラスを拭いている八戒をカウンター越しに悔しげに見上げる。
確かに八戒の言うとおり、自業自得だってえのは解る。
解っちゃいるが、諦めたくねぇ。
何処の誰かすら解らねぇ相手に囚われちまったんだから、仕方ねえだろ。

「本当に貴方って人は・・・。」
「仕方ねえだろ。」
「ええ。仕方ありません。ですが、100%は期待しないで下さいよ。情報量が少なすぎですから。」
「解ってるって。頼むぜ、八戒。」

なんだかんだと言いながらも力を貸してくれる八戒。
表向きはこの喫茶店のオーナーだが、裏を返せばその手の職種に手を染めている。
長年の腐れ縁だって言っても、今回ばかりはまけてくれないだろう。
端からまけてもらう気もないけどよ。
どんな事をしても見つけて捕まえてやる。
ぬるくなった珈琲を飲みながら、暮れゆく夕日を同じ紅に映した。










毎日、毎日、同じ事の繰り返し。
違う事といえば、頭の固い連中の面々くらいだろうか。
こうも立て続けに言われたらバカでも気付くし、少しくらいは柔らかくなったっていいんじゃない?
古株と若手の板挟みになってるこっちの身にもなれってえの。
声に出さないように不満を吐き出す。
表面上は仕事中だといわんばかりにパソコンを自在に操りながら、反対でしっかりと愚痴を溢す。
溢さずにいられるならそれに越した事はない。
ストレスは美容の天敵なんだから。
その為に確か一昨日に飲みに行ったはずなのに、どうしてこうストレスの蓄積度が高いのだろう。
何故?
疑問に思ったのも束の間。
すぐに答えに行き当たった。
紅だ。
あの紅い男がいたから、あれ以上そこに居たくなかったんだ。
思い出して左腕を見る。
タクシーに乗る寸前に掴まれた左腕。
まだ熱をもっているかのような錯覚に囚われる。
どんな女でも落ちるって思ったらただじゃすまないわよ。
あんな軽そうなヤツ・・・。

「・・・バッカじゃないの?」

溜息を吐き出しながら手を止め、頬杖をつく。
いつの間にか誰も居なくなっていた室内をぼんやりと見渡して、再び軽く息を落とす。
窓の外はもう夜の闇が支配している。

「やめやめ。」

手につかなくなった仕事を放り出して、は会社を後にした。
いつもいつも残業ばっかり。
しかも一番遅くまで残っているのはだけ。
ほかの連中はさっさと帰っていく。
仕事が終わってればいいが、まったくもって終わってなんかいない。
それでも言うことだけは一人前で・・・。
その事ものストレスの要因の一つだったりする。
今日もこのまますんなり帰っても、ゆっくりと布団に入ることなんて出来ないだろう。
飲みにでも行くか?
それとも家で一人で飲むか。
飲みに行ってもストレス解消にはならなかったことを思い出し、家路を急いだ。
駅から家に向かうまでにある一軒のコンビニに迷うことなく足を踏み入れる。
カゴを持ち、適当に缶ビールとツマミを放り込み会計を済ませる。
ずっしりと重いレジ袋を持ち、コンビニから出た。
後はわき目も振らずに家に帰るだけのはずだったのだが、何故かそこにいる人物に足を止めてしまった。
咥えタバコで、よっと軽く手を上げられる。
錯覚か幻覚か・・・。
一度目を瞑り深呼吸した後にゆっくりと目を開けると、やっぱり消えることなくその場にいる紅。

「今帰り?夜道の一人歩きは危ないぜ。」

気軽に話しかけてくる男を無視して、は止まっていた足を動かした。
係わり合いになる事なんてない。
どうせ相手の気まぐれだろう。
放っておけばいい。

「この前は悪かった。その・・・・・・いきなりで。」

悟浄を見ようとせずに歩き出した彼女の後ろをついていきながら、戸惑いがちに声をかけた。
あれから八戒に頼んで調べてもらった彼女の居場所。
って言っても、帰り道にあるこのコンビニの場所しか教えてはもらえなかった。
「名前は?年は?何処に住んでんだ?」
聞いたところで、あの怖い笑顔で返されるのみ。
「自分で聞いてください。」
「ホントは知らないんじゃねぇの?」
「知ってますよ。ですが、教えません。それじゃ意味ないでしょ。」
ね?っと笑顔で人差し指を口元に持っていった八戒に、それ以上何も聞き出すことは出来なかった。
だから夕方からコンビニの近くで待っていた。
いつ現れるかなんて解ったもんじゃないから、ずっと目を離さずにその場に佇んでいた。
日も落ちて、日が替わろうかという頃になってやっと彼女の姿を見つけた。
八戒の情報の確かさに少なからず感謝しながら、コンビニから出てくる彼女に声をかけた。
が、答えるどころか無視して歩き出した事に焦り、慌てて後を追いかけた。
そして謝罪の言葉を述べると、不意に立ち止まった彼女が悟浄を振り返った。

「もうついてこないでくれる?」
「いや・・・あの・・・。」
「だから、余所あたればって言ったはずよ。じゃあね。」

勢いに流されて何も言い返せないでいると、一方的に話した彼女は踵を返して歩き出した。
先日と含めて二度目の拒絶。
今度こそ逃げられる。
止まっていた時間が動き出した瞬間、悟浄は駆け出していた。
そして再び掴んだ彼女の左腕。
短い悲鳴と非難の色を映した瞳が悟浄をとらえる。

「いい加減にしてくれる?」
「・・・それは出来ねぇんだわ。」
「遊び半分でからかうのは迷惑なんだけど。放して。」
「それも出来ねぇわ。」
「あのね、何処の誰だか知らない貴方にかかわってる時間なんてないの。解る?」

振りほどけない手に苛立ちを感じながら、は紅い瞳をにらみつけた。

「悟浄。」
「は?」
「だから、俺の名前。沙悟浄。」
「・・・誰も聞いてないし。それより放してよ。」

今までにない反応に多少戸惑いを感じながら、思い当たったのは気になった理由。
俺に流されないその強さに引かれたんだ。
俺にない強さに・・・。
淋しさに囚われて、逃げる事しか出来なかった俺とはまったく正反対の強さに。
綺麗に澄んだ瞳。
真っ直ぐで迷いのない眼光。
それを見ていたい。
俺だけに向けて欲しい。
どうしたら・・・・・・。

「名前、教えてくれたら放してやるよ。」
「お断りします。放してくれないと、ヒールで踏みつけるわよ。」
「わ〜ったよ。逃げないって約束してくれんなら放してやる。」

このまま帰したくないがどうもお手上げな状態に、苦笑しながら悟浄が妥協した。
何かを考えてる風の彼女が小さく頷くのを見て、悟浄はゆっくりとその手を放した。
逃げるかもしれないと思ったが、悟浄の心配は杞憂に終わった。
逃げることもせず、黙って悟浄を見上げる
その視線に悟浄が負けた。
どうしていいか解らずに、困り果ててぽりぽりと頬をかく。

「何?話ないなら帰るわよ。じゃあね。」
「俺と付き合ってくれ。」
「だから・・・この前も言ったでしょ。私、軽い男は嫌いなの。余所あたって。」

溜息交じりの拒絶。
こうも自分の過去の行いを悔やんだ事は初めてだ。
自業自得ってか。
八戒の言葉が脳裏をよぎる。
どうすりゃいいんだ。

「どうすれば・・・信じてくれる。」
「信じるもなにも。軽い男は嫌いって言ってるでしょ。」
「好きな女には一途だぜ。」
「今まで本気になったことなんてないでしょ。だからその言葉に信憑性なんてまったくないわよ。」
「っつ。」

言葉に詰まっている悟浄をその場に残し、は歩き出した。
掴まれていた左腕がまだまだ熱い。
軽い男は嫌い。
それは事実。
でも、悟浄という男が気になったのも事実。
の言葉に詰まったという事は、今まで本気になった女が居なかったことの証。
もし・・・。
そう。もし、の事が本気だっていうんなら、こんなことで諦めたりしないはず。
今日会ったのも、偶然なんかじゃない。
おそらく、必然。
がコンビニから出てきたときの、悟浄の態度がそう物語っていたのだから。
どうやってかは知らないが調べたのだろう。
なら、その本気というのを見せてもらってもいいかもしれない。
は足を止めて振り返った。
そして、未だ俯いたまま立ち尽くしている悟浄に声をかけた。

よ。」

その声が聞こえた悟浄がようやく顔を上げる。
遣り切れない表情だった顔が瞬時に色を取り戻し、立ち止まっているの元に駆け寄った。

「見せてよ。貴方の本気ってやつ。」
「・・・・・・マジかよ。」
「マジじゃなの?まずは友達からね。さっきの言葉が真実だって信じられたら付き合ってあげる。」
「よっしゃ〜!!」

ガッツポーズをする悟浄に、思わずが噴出した。

「じゃ、よろしくね。悟浄。」
「おう。すぐに信じさせてやるよ、。」

握手、とが差し出した手を握る。
こんな始まり方ってのも・・・まあ、ありだわな。






大変長らくお待たせいたしました。27000番のキリ番を踏まれた楸貴様のリクエストです。
ヘタレな悟浄と気の強いヒロイン。悟浄がヒロインを気になりいつものように声をかける。最初拒絶され続けているが、結果付き合いだす。
・・・というリクだったのですが・・・・・・・・・。すいません。(平謝り)
ヘタレなのかどうかも疑問ですが、それよりなにより。。。付き合いだすっていうより、友達から始めましょって(汗)
しかも何気に八戒さんまで登場させて、手伝ってもらってたりなんかして。
ご期待にそえたかどうか定かではありませんが、これからもどうぞ宜しくお願いします。
また、こっそりでも結構ですので拍手に足跡残しておいて下さい。

蒼稜 07.09.12