――あの日。


八戒が買い物に出かけている間に、三蔵が来た。
そして八戒が居ないと分かると、三蔵は私に残酷な言葉を残して帰っていった。


暫らく、息をするのを忘れた。
生きているのか、分からなくなった。
三蔵に言われた言葉だけが、脳を支配する。
身体を、心を、支配する。
ようやく言葉の意味を飲み込めた時、柔らかい水滴が頬を滑り落ち、床に染みを作った。


離れる事なんて無いと思ってた。
繋いだ手を離す事なんて無いと思ってた。
絡めた指を解くなんて無いと思ってた。


なのに、三蔵は私に。
あえて私に、それをしろと言った。


涙を手の甲で拭いながら、ぼんやりと三蔵が出ていったドアを見つめた。


八戒に自分の気持ちを気付かれないように。
でも、それはしなければならない事。
今じゃなくても、近日中には告げなければならない。


「・・・。そんなの絶対無理よ。」


呟きだけが空気に溶けていった。










夜になり、乾いた風が窓から室内に入ってくる。
ぼんやりと風に髪を弄ばれながら、窓辺に凭れ掛かり空に輝く星を見上げた。


あの星のように、輝きながら八戒を見ていたい。
傍に居られないなら、せめて・・・。


「どうしたんですか、?」

心配そうな声。
そんな八戒に背後から抱き締められ、腕の中に捕われた。


このままがいい。
ずっと貴方に捕われていたい。
繋いだ手を、絡まりあった指を、離したくない。
心が悲鳴を上げる。
この温もりを忘れないように。


抱き締められたその腕に頬をすりよせた。


もう二度とこの胸に抱かれることは無い。
もう二度と貴方の声を聞くことは無い。
もう二度と貴方の姿を見ることは無い。


だから、今だけはこのままで。
この温もりを忘れないように。
幸せの時間を忘れないように。


言うのは無理。
だって、八戒の事だから何もかも見抜かれてしまうに決まっている。
だから明日の朝、置手紙をして出て行くわ。
私の本心じゃないけど。
でも、大切な使命の為だから。
仕方ないよ。。。ね。
この桃源郷の異変を救えるのが、三蔵たちだって言われたんなら。
仕方がないよ。
それが分かってるから、足を引っ張る事なんてできない。


八戒に抱きしめられたまま、その綺麗な指に自分の指を絡めた。


「私ね、八戒の指大好きよ。」
「昔、花喃にも同じ事を言われましたよ。」
「ゴメン。でも、本当の気持ちよ。」
「ええ、分かっていますよ。」


少し辛そうな八戒の声に、チクリと胸の奥が痛んだ。


傷つけたいわけじゃない。
本当の気持ちよ。
その指を離さないで。
・・・・・・離さないで。
































荒野を走るジープの上、騒々しい二人の言い合いが始まった。

「なあ、八戒。腹減った〜〜。」
「なんだぁ〜。さっき食ったばっかじゃねえかよ。この脳味噌胃袋猿!」
「んだと〜!!このエロ河童!!!」
「チビ猿!!」
「万年発情期のエロエロ河童!!!」

口と共に掴み合いを始めた二人をミラー越しに見ながら、八戒は隣に座る三蔵を伺った。
米神に青筋を立てた最高僧は、徐に銃を取り出し発砲した。


ガウン!

ガウン!

ガウン!


「テメェら、煩ぇんだよ!!!静かにしやがれ!!!」

「っぶねえな!マジ当たるだろおが!」
「マジ。。。死ぬかと思った。」

「安心しろ。死んだら捨てていく。」

そんな三蔵の言葉に、八戒自身苦笑しながらも、そっと己の胸に手を置いた。


服越しにでも伝わる紙の存在。
それは、恋人だったからの最後の手紙。
別れの手紙。
ただ一行だけ・・・『別れましょ。さよなら。』
それだけが綴られた手紙。










朝起きて、隣にが居ない事に少し驚きながらも、部屋を出て台所に入った。
朝ごはんでも作っているかと思ったが、そこにの姿は無かった。
の代わりにテーブルの上に存在を主張するように置かれていた手紙。
その内容に、目を疑い。
着替えもそこそこに家を飛び出して、の行きそうなところを捜し歩いた。
自分と会う以前に住んでいたの家にも行ったが、何処にも見当たらなかった。
町中探しまわり。それこそ、日の暮れるまで当てもなく探し続けた。
けれども、神隠しにでもあったかのように、誰もを見かけた者は居なかった。
諦めたくなくて、認めたくなくて。
次の日も、その次の日も。
ただひたすらの行方を捜し続けた。
そんな時、三蔵から三仏神の命を聞いた。
後ろ髪を引かれる思いで、今こうやって旅を続けている。










「なあ、八戒。次の街って後どれくらい?マジ腹減って死にそう・・・。」

運転席までも聞こえる盛大なお腹の音に、モノクルの奥の翡翠の瞳が和らいだ。

「そうですね。この丘を越えたら着きますよ。」
「やり〜!」
「久しぶりの街だな。っしゃ〜、ゴジョさん張り切っちゃうぜ?」
「悟浄?教育的指導です。」

ニッコリと笑顔を向ければ、ガックリと肩を落とし項垂れる悟浄がミラー越しに見えた。
そして、再びアクセルを踏み込んだ。





この辺りでは比較的大きい部類に入る街。
その中心部に位置する、これまた大きい中華料理店。
宿を取り、早くと急かす悟空を追いかけるような形で三蔵たちはその店に入った。
味もイイと宿の主人に教えられていたので、驚く事はなかったが、店内は客で賑わっていた。
それを一通り見回してから、八戒は先に入っていった仲間を探した。
店の奥の方に、一際目立つ紅と金色を見つけ、迷うこと無く彼らのテーブルに着いた。
メニューをかぶりつく様にして見つめる悟空と悟浄。
三蔵は早速タバコを銜え、食前の一服をしている。
もう一つのメニューに目を落とした八戒。
ちょうどそこにウエイトレスがお水を持ってやって来た。


「いらっしゃいませ。ごちゅ・・・・う・・・・・・・・・・・・・・。」


不自然に途切れた言葉。
そして、なにより聞きなれた愛しい女性の声に、八戒はメニューに向けていた視線を上げた。


捜し求めていた愛しいが、そこに居た。


が、その視線は八戒にではなく、三蔵に向けられていた。
当の三蔵も、チッと舌打ちをし眉を寄せている。
それに耐え切れずにがその場を逃げ出した。
追いかけようとした八戒を止めたのは、そんな三蔵だった。


「どうしてです!行かせて下さい。」
「行ってどうする。お前は、この旅を降りるというのか。」
「そんな訳ないじゃないですか。でも、の事三蔵だって・・・・・・・まさか!!」




駆け去っていく八戒の後姿を見送りながら、悟浄はやるせなさに髪を掻き揚げた。


「あ〜あ。んな事しちゃダメっしょ?三蔵サマ。」
「るせぇ。女なんて必要ねぇんだよ。ましてや、いつ帰ってこれるか分からない旅なんだ。待ってる方も辛いだろおが。」
「そりゃ〜、理屈だけならな。けどよ、女ってもんは好きな男の為ならいつまでも待つってもんよ?」
「フン、くだらん理屈だな。」


紫暗の瞳と紅の瞳が火花を散らす。
が、それを止めたのは盛大な悟空のお腹の音だった。


「だ〜〜〜!!!腹減った!!!」
「ったく。そこの可愛いお姉ちゃん!注文聞いてくんねぇ?」
「チッ、勝手にしやがれ。」


その後、悟空と悟浄が注文した料理が所狭しとテーブルを埋め尽くしていたのは言うまでも無いだろう。















店から飛び出してみたものの、が店を出てから多少だが時間が空いた。
右を見ても、左を見ても、まして前の通りを見てもの姿は見つけられなかった。
探して、見つからなくて、でも諦め切れなかったこの気持ち。
八戒は一度深く息を吐き出してから、その場を駆け出した。


何処に?


こんな時、はよく水辺にいた。
どうしてかと聞いたことがあった。


水は、嫌な事全部洗い流してくれそうだから。
だから、好きなの。
嫌な気持ちを全部流してくれたら、後に残るのは幸せな気持ちだけなのよ。


道行く人に、水辺の場所を尋ねて、八戒は迷うこと無くその場に向かった。
街の外れにある川。
流れの綺麗なその川辺に、一人佇むを見つけた。
逸る気持ちを落ち着けて、八戒はゆっくりとの元に歩み寄った。


。探しましたよ。」
「・・・・・・。」


何も言わずに、顔を膝に押し付けるように項垂れる
そんなの隣に、八戒は腰を下ろした。
そして、空を染めていく夕日の赤を見ながら、ポツリポツリと話し出した。
さっき三蔵に聞いた事。
あの日の真相。


「今更謝って済む様な事でもありませんが、すいませんでした。」
「八戒が・・・悪いんじゃないわ。まして、三蔵が悪いんでもない。」
「ですが・・・。」
「私が好きで別れたのよ。」


ようやく目があった。
その瞳は、以前と同じで真直ぐな強い意志が現われていた。


「なら、どうして泣いているんです?」
「・・・・・・。」
「僕はが好きです。今までも。そしてこれからも。」
「は・・・・・・・かい。」
「ずっと永遠に愛し続けますよ。それとも、本当に僕の事がキライになりましたか?」


答えは分かっている。
その涙が全ての証拠。
の正直な心の声。


涙を流しながら、首を振るを抱きしめた。
どれくらいそうしていただろう。
ようやく落ち着いてきたの頭に、そっと口付けを落とした。


「もう、絶対に離しませんよ。」
「でも、・・・旅・・・・・・・。」
「大丈夫ですよ。は僕が守ります。だから、一緒に行ってくれませんか。」
「三蔵に怒られるよ?」


真っ赤に腫らした目で僕を見上げる


「大丈夫ですよ。僕が黙らせますから。」


人差し指を立てながら、ニッコリ笑えば、自然とも笑顔になった。
そんなの前に、その手を差し出した。


「一緒に行きましょう。」
「・・・。本当にいいの?」
が居ないとダメなんです。もう二度と離しませんから。」
「うん。」


互いに掴んだ手を、一度離し、今度は指を絡めあった。
もう二度と離れる事が無いように。
もう二度と失う事がないように。
強く。
強く。


、愛していますよ。永遠に。」








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