カチャカチャと、試験管やビーカーの擦れる音が静かな空間に響く。
眉間に皺を寄せながら、その器材を扱っているのはだった。
つい先程、怒りながらこの研究室の駆け込んできたはその勢いのまま何かを始めた。
ブツブツと何かを呟きながら、思い出したかのように叫びだすに、さすがの天蓬も声を掛けずにはいられなかった。


、どうしたんですか?」
「ちょっと、天蓬!」
「はい?!」
「ボード!!」
「はいはい。」


床に散乱している本や、器材の間を器用に避けてホワイトボードを押してくる天蓬。
一冊の本を片手に、口でペンのキャップを銜え取り、サラサラとボードに化学式を書き込んでいく。
白かったボードが、あっという間に黒くなった。
それだけ緻密に書き込まれた式が何を意味するのか。


「…、これは?」
「金蝉のヤツに飲ませるのよ。」


拳を握りしめながら、また怒りを露わにする。
それに軽い溜息を落としながら、構築している式を解くと……。


「待って下さい。これって―――。」
「そうよ。だってね!?」


棚の中から必要な薬品を取り出しながらも、喋りだした内容はつい先刻の事。
こうなった原因。


「…。金蝉が髪を……ねぇ。」
「それにね!『テメェ、誰だ?いい加減に離れやがれ!!』だよ!ったく、私が何かした?」
「えっと……。もしかして、それは―――。」
「何!止めても無駄よ!!絶対飲ませて、アイツの本心聞き出してやるんだから!」


ビーカーやフラスコが乾いた音を鳴らす中、天蓬の溜息もそれに溶けていった。
は、もう実験に夢中になっているので、他の声は聞こえなくなっている。

「止めても無駄」と言う限り、かなり本気なんでしょうね。
話の流れから、どうやら人間違いをしているんですが。
気付いてないんでしょうね、きっと。
金蝉だと思ったのは、おそらく彼の弟の三蔵でしょう。

教えてしまえば、実験もそこまでだろう。
けれども、それ以上の楽しい事を想像してしまった天蓬はクスッと悪戯な笑みを落とし、またボードに目を移した。











それから一時間程経った時、

ボンッ―――

小さな音をたてて、化学反応が起こった。
そして、の歓喜の声が上がった。


「出来たんですか?」
「出来たわよ。」


綺麗に微笑んで、目の前でかざした試験管の中には、怪しい紫色の液体が揺れていた。
それを試験管立てに置き、今度は水を入れたフラスコをアルコールランプで温めた。
カップにインスタントコーヒーを入れ、お湯を注ぎ、そこに紫色の液体を入れる。
軽くスプーンでかき混ぜて、満足そうに微笑んだ


「さて、後は金蝉が来るのを待つだけだわ。」
「…本気なんですね?」
「当たり前よ!絶対許さない。今日こそ本心聞いてやるんだから!!」


メラメラと……見えるのならば、の背後に燃え滾る炎を確認できる事だろう。
一度こうなってしまった彼女は、決して止まらない。
天蓬は諦めながらも、それでもこれから起こるであろう楽しい余興の結果に思いを馳せた。


「ところで。」
「何よ!?」
「待ってても、きっと来ませんよ。」
「チッ。探してくるから、もし来たらコレ飲ませといてよ!」


苛立ち紛れの舌打ちをしたが、天蓬の前に薬入りのコーヒーを置いた。


「分かりました。”金蝉”に飲ませればいいんですね?」
「他に誰が居るのよ?頼むわよ。」


慌しく研究室から走り去るを見送り、視線を手元のカップに戻した。

「他に誰が居るのよ?」ですか。
驚くでしょうね、きっと。

クスッと笑みを落とした時、突然聞こえたドアの開く音にが何か忘れたのかと、振り向いた。


「どうかしましたか、。」
「珍しいな。お前が気付くなんて。」
「おや、金蝉じゃないですか。に……。」


会った様子はありませんね。
どちらかと言うと、こちらの方がよほど珍しいですが。
いつもなら、捲簾に無理やり連れて来られない限りココには来ない金蝉が、今日は自ら出向いている。


「何だ、居なねぇのか。」
「ええ。コーヒー淹れたばかりなんですが、飲みますか?」
「ああ。頼む。」


何も知らない金蝉の前に、薬入りのコーヒーを差し出した。
それにゆっくりと口をつけながら、金蝉はボードに書かれている化学式に目を向けた。
いつものように緻密に書き込まれているそれは、本当に専門にしているヤツにしか分からない。


「アイツはまた何か作ったのか?」
「ええ。まぁ、帰ってくれば解りますよ。」


ヘラッと笑った天蓬は、金蝉の隣に腰を落ち着けた。











闇雲に金蝉を探していたは、フッとその足を止めた。
苛立つ自分を抑えながら、一度深呼吸した。
それから白衣の胸ポケットに入れていたケータイを取り出す。
最初からケータイで、場所を聞くか、研究室に来い!と呼びつければよかったのに改めて気付いたからだ。
金蝉に電話すると、今研究室に居ると言う。


「そこ、動かないで!!」


怒鳴りながらケータイを切ったは、研究室に駆け戻った。
肩で息をしながら、派手な音を立ててドアを開ける。
ドサッと奥の方で本が落ちる音が聞こえたが、それすら気にも留めずにズカズカと中へ入っていった。
そして、何事かと眉間に皺を寄せている金蝉の前に仁王立ちになった。


「金蝉!!」
「……何だ、一体。」
「今日こそ貴方の本心っ……………って、アレ!?」


蒼の瞳をパチクリさせて、マジマジと金蝉の金色の髪を見つめた次の瞬間、思い切り引っ張った。


「っ、テメェ!何しやがる!!!」
「本物!?」
「当たり前だ!」
「切ったんじゃないの?」
「誰が切るか!お前が似合うと言ったから、こうやって伸ばしてるんじゃねぇか。」


金蝉の言葉で、の口角が上がった。
どうやら人違いだったようだが、結果、金蝉の本音を聞く事ができそうだ。
そんなとは違い、自分が何を口走ったのか理解した金蝉は、から天蓬に紫暗の瞳を投げつけた。
怯むこと無く、ヘラッといつものように笑う天蓬。


「チッ。、天蓬。貴様ら、今度は何を作りやがった!?大体、いつもいつもとんでもねぇモンばかり作りやがって。」
「とんでもないモノって何よ!私の頭脳が生み出した最高傑作の薬なのよ。バカにしないでよね。それに、大成功じゃない!」
「そうですよネ。金蝉、貴方もう飲んじゃってますから。」


一瞬静まり返る室内。
悪戯な笑みを作る二人と違って、薬の被害者となっている金蝉は、米神に一気に青筋を立てた。


「テメェら、いい度胸してんじゃねぇか!!」
「そもそも金蝉が悪いのよ!」
「俺は何もしてねぇだろおが!今日だって、今初めて会ったんだぞ?いつもいつも研究に没頭しやがって。」
「没頭して何が悪いのよ!!」
「喋らねぇモン相手に使う時間があるんなら、俺の気持ちにとっとと気付きやがれ!」
「気持ちって何よ?そんな見えないモノ解るわけないじゃない。」
「俺がどれだけお前の事を想ってるかって事だ。いい加減俺のモンになりやがれ!!」


金蝉の本心を聞いて少し頬を赤らめたが、食って掛かっていた勢いを無くし顔を伏せた。
その時、さっきまで居なかった捲簾の声が聞こえてきた。


「おっ。何だ、金蝉。やっと言ったのか。にしてもお前、声デカすぎだぜ?」


面白そうにニヤッと口角を上げ、開け放たれたドアに凭れ掛かりながらこちらを見ている捲簾。
振り向いたは、そんな捲簾の隣に佇む金糸の髪を見て大声を上げた。


「あっ!!!」
「テメェ、さっきの早とちりヤロウ。」
「三蔵。もしかしなくてもお前のせいか!」
「ハッ。脳味噌湧いてんじゃねえぞ、このクソ兄貴!!」


と三蔵の性格、行動を全て計算して、行き着いた結果。
この状況になった原因がなんとなく解った金蝉は、盛大な溜息を落とした。
そして、鋭い視線をに投げつける。
さすがにマズイと悟ったのか、はジリジリと後ずさりしながら苦笑いを浮かべている。


「……金蝉、ごめんね?」
「ホゥ。謝って済む問題じゃねぇだろおが。それよりも、今日こそ俺のモンにしてやる。」
「薬が効いてない時の告白なら受け付けるわよ。じゃあね!」


は金蝉の伸ばした手から上手くすり抜け、研究室から外へ飛び出して行った。
でもその表情は、とても幸せそうに微笑んでいたのは言うまでもないだろう。
その後を追う金蝉。


「待ちやがれ!!」

「誰が待つもんですか!!!」







拍手夢に置いていたモノです。
大学院設定の第二弾。
好評なので、シリーズ化してしまいそうです。(笑)

後書き