「・・・退屈っ。」
の呟きが研究室内に落ちた。
腰までの長い髪を弄びながら、もう片手は分厚い本を捲る。
読んでいるわけではなく、ただ眺めているだけ。
何か薬を作りたいが、コレと言って決め手になるような物もない。
この前作った『猫薬』は、かなりの出来で。。。
アレ以来、金蝉がココに寄り付かなくなったというのも、今現在の退屈の原因に他ならない。
「退屈だ―――――っ!!!」
両手両足を投げ出すような形で、イスの背に勢いよく凭れ掛かった。
が、やはりそれは倒れるわけで・・・。
ドサッ
ズザザァ――ッ!!!
ゴツッ!
流石にこの研究室内なので、床とお友達になる事はなかったが、散乱している本の中にイスごとひっくり返った。
その衝撃で、机の上で器用にバランスを保ち積み上げてあった本がめがけて降り注いだ。
その中の一冊が、見事に額に直撃する。
「・・・・っつ。痛〜い!!!」
瞳に涙を溜め、額を擦りながら、本の山の中から這いずり出そうと試みた。
が・・・。
退屈しのぎに読み漁っていた本や資料が尋常な量ではなく。
また、そんじょそこらの薄っぺらい本でもなく、全てが2000ページ程の分厚い本だった為、困難を余儀なくされた。
悪戦苦闘しているの頭上から、なんとも間の抜けた声が降ってきた。
「大丈夫ですか、。」
「・・・心配してんなら、助けてよ。」
「仕方ありませんね。」
肩を竦めた天蓬が、すっと手を差し出した。
その手を取り、何とか本の中から抜け出した。
白衣についた埃を手で叩き落とし、乱れた髪をかき上げる。
「ありがと、天蓬。」
「かまいませんよ。」
「じゃ、行ってきます。」
「はい?」
あまりに突然すぎる展開に、流石の天蓬も声が裏返ってしまった。
・・・と言っても、の突発的な行動は今に始まった事ではないんですけど・・・。
今回は「行ってきます」なんですよね。
「思いついた!」なら解るんですけど。
「・・・病院ですか?」
「何馬鹿なこと言ってんのよ。病院なら天蓬も一緒でしょ。」
「あはははは。確かに。」
「買い物よ。か・い・も・の!」
悪戯な笑みを残して、は研究室から飛び出していった。
それから二時間あまり―――。
にこやかな笑顔で帰ってきたが、天蓬に一つのブランドの紙袋を手渡した。
怪訝そうな顔で、その袋との顔を見比べる天蓬にが噴出した。
「プレゼント。意味は無いんだけど。それに、第一印象で決めたから・・・気に入らなかったらごめん。」
「ありがとうございます。」
お礼を言って、袋を開けるとそこにはロエベの香水が入っていた。
綺麗なグリーンのオーデトワレで、ロエベのロゴ入りだった。
手首の内側にシュッと一噴きすると、爽やかな香りが立ち上がった。
「いい香りです。」
「よかった。じゃあ、早速始めましょうか。」
「今度は何ですか?」
これよ!とばかりに、取り出したのはイヴ・サンローランとクリスチャン・ディオールの香水だった。
はまず、クリスチャン・ディオールの箱を開けて中から香水のボトルを取り出した。
それは濃い紫のボトルで、『POISON』と名が刻まれていた。
「・・・怪しいですよ。一体何に使うんですか。」
「意味そのままよ。”毒”をもって”毒”をせいす。要は、解毒剤にするの。」
「なら・・・・・・こっちの香水は。」
そういった天蓬が取り上げたのが、イヴ・サンローランの香水。
綺麗な金色の液体が中で揺れていた。
「知ってる?その異名。」
「何ですか?」
「『男の媚薬』って言うのよvvv」
「・・・今度は捲簾ですか?」
「まさか。金蝉に決まってるでしょ。」
楽しそうに口角を上げたは、その勢いのままホワイトボードに構築式を書き連ねていった。
いつもはボードが黒くなる程まで、緻密に書き込まれていくのだが。
今回はその半分ほどで終わった。
首をかしげながらも、その構築式を解くと。
「・・・、本気ですか?」
「ええ。それに、ちゃんとコレが解毒剤になるから大丈夫よ。」
カチャカチャと音をさせながら、実験器材を取り出して薬品を調合していく。
ベースになるモノが最初からある分、楽といえば楽なんですけど。
・・・本気なんですよね。
まぁ、実験対象が僕じゃないだけいいですけどね。
金蝉、体力ありましたっけ。
そんな天蓬の心配を他所に、その薬は完成した。
金色の色に混ぜる為、ばれないように無色透明の液が試験管の中で揺れていた。
それをスポイトで吸い上げて、香水の中に落としていく。
ゆっくりと混ざり合った液を眺めたは、一つ満足気に頷くと、ボトルを再び箱に入れ直した。
そして綺麗にラッピングしていく。
「本気なんですよね。」
「本気よ。じゃ、渡してくるわ。」
意気揚々と出て行くの後姿を、苦笑しながら天蓬が見つめていた。
―――次の日
朝からと天蓬は、研究室の窓から外を見ていた。
そんな彼らの視線の先には・・・。
大学院の講堂内を走っている金蝉と、その後ろに大学院の全てといっていい程の数の女性たち。
「朝から元気ね。」
「・・・それは、違うと思いますよ。」
「そう?あんなに沢山の女性、選び放題じゃない。」
黄色い声を上げる女性に、息を切らせながらも金蝉の怒鳴り声が響く。
それを面白そうに、否、少し不貞腐れたように見ている。
昨日が作った薬。
それは、最強の媚薬。
女性にしか効かない、世のモテナイ男性にしたら、眉唾物の薬。
『男の媚薬』の香水と、の最強の媚薬が融合すると、こうなる事は明らかだったんですよね。
だから、あれほど聞いたんですけど・・・。
バタン!!!
突然開いたドアに、と天蓬が振り返った。
そこには肩で息をしている金蝉が、怒りを露わに立っていた。
「ぜぇ、ぜぇ・・・。!テメェ、一体どういう了見だ。」
ドン!!
ドン!!
「金蝉さま〜ッ!!!」
後ろ手に締めていたドアが、勢いで軋みだす。
それに舌打ちしながらも、抑えている手を離すこと無く、金蝉はを睨み付けた。
「別に。だって、ココには来ないから。好きな人でも出来たのかなって。ほら、選び放題じゃない。」
「・・・言い度胸してんじゃねぇか。」
「お褒めの言葉として受け取っておくわ。それ、離せないでしょ?後宜しくね、天蓬。」
「おい!、待ちやがれ!!」
金蝉の言葉に足を止めること無く、は奥の仮眠室に入っていった。
鍵を閉める音が天蓬の耳に入る。
まったく、この人達は・・・。
溜息を吐きながら、天蓬は机の上から『POISON』を取って、それを金蝉に噴きかけた。
「・・・何しやがる。」
「一種の解毒剤ですよ。それで皆さんの前に出てみて下さい。」
「大丈夫なんだろうな。」
「ええ。」
悪びれるふうでもなく、いつものようにへらっと笑った天蓬が金蝉を促した。
それに押されるようにドアを開ける。
「テメェら、とっとと散りやがれ!!!うっとおしいんだよ!!!」
金蝉の怒鳴り声で、そこに居た女性たちは蜘蛛の子を散らす勢いで消えていった。
「よかったんですか?選び放題だったのに。」
「当たり前だ。」
それだけ言い残して、金蝉はその場を後にした。
それから二時間あまりが経過したころ。
仮眠室のドアがようやく開き、が出てきた。
「金蝉は?」
「怒って帰りましたよ。」
「・・・選ばなかったの?あの人数で?」
「当たり前ですよ。」
天蓬の言葉に、ほっとしたのは事実。
気になってた。
本当は、ここに来ないのも好きな子が出来たんじゃないかって。
気になってた。
だから嫌がらせしたんだ。
でも・・・、そっか。
選ばなかったんだ。
ちょっとは素直になってみようかしら。
「ああ。、これ。金蝉からです。」
「何?」
天蓬に手渡された小さな箱。
綺麗にラッピングしてあるのを解き、箱を開けると――。
「香水ですか。」
「・・・・・・言い度胸してんじゃない!!!取り消しよ!絶対素直になんてなってやるもんですか!!!」
が怒りのまま投げつけたボトルを、天蓬が上手く受け止めた。
丸みを帯びたボトルの首の部分には白いリボンが形造られていて、グレのロゴのGがキャップの部分に刻印してあるモノだった。
「”CABOCHARD”(カボシャール)ですか。」
「その意味教えてあげる。”強情っぱり”よ。」
「あはははは。」
「どっちが強情よ!!!見てなさい!またぎゃふんと言わせてやるんだから!!!」
そう言いながら、ホワイトボードに新しい構築式を書き連ねていく。
「天蓬!!!」
「はい?」
「ぼーっとしてないで、手伝って!」
「はいはい。」
そしての研究は続くのであった。
[参考]
イヴ・サンローランの香水/OPIUM POUR HOMME(オピウム プール オム) 別名『男の媚薬』 オーデトワレ
クリスチャン・ディオールの香水/POISON(ポワゾン) ”毒” エスプリドゥパルファン
ロエベの香水/LOEWE POUR HOMME(ロエベ プール オム) オーデトワレ
グレの香水/CABOCHARD(カボシャール) ”強情っぱり” 香水
後書き