「お〜い、天蓬!!」


いちよう研究室のドアをガンガンと叩きながら、声も掛けては見るものの・・・。
やはり中から返事は返ってこなかった。
片手に持ったスーパーの袋を持ち直し、もう片手で銜えていたタバコをケータイ灰皿に押し込んだ。
今から起こる事に軽く溜息を吐きながらも、ドアのノブに手を掛ける。

「・・・開けるぞ。」

静かに開けたところで結果は変わらない。
なら勢いそのままに開けてしまおうと、効果音がつくならバン!というくらい勢いよく禁断のドアを開けた。
それと同時にドアの影に身を隠す。
案の定、中から本の雪崩が押し寄せてきて廊下にまで膨大な量の本が流れ出てきた。


ドサッ

ドサッ

ズザザザーッ


崩れ落ちる音が一段落ついてから、捲簾はドアの影から顔を覗かせた。
埃舞う研究室の中。
それでもやはり、相変わらずこの研究室の住人の姿は見えなかった。
足元に散乱している分厚い本をのけながら、室内に足を踏み入れる。

「お〜い、天蓬!!」



「はい?」

不意に聞こえてきた、何とも間の抜けた声に捲簾はガクッと肩を落とした。
声の聞こえてきた方を見ると、床に座り込み本の山に身を埋めている天蓬が捲簾を見上げていた。
ワシワシと頭を掻きながら、盛大な溜息を落とす。

「おい・・・。確かつい一週間前に片したばかりだぞ?」
「あはは。」
「あははって、お前ねェ。ところで
「け〜ん〜れ〜ん〜っ。」

捲簾の声を掻き消すように、研究室の奥の方で大きな声が上がった。

大きいんだけど、元気な声ってワケじゃねぇんだよな。
なんていうか、それこそハイテンションってか?
また寝てねぇのか。

視線を向ければ、本と器材の山の中からぴょこんと黒い頭が飛び出した。
そのまま立ち上がったは、一度軽く伸びをした後
・・・倒れた。

一際派手な音が室内に響く。

「「!!」」

慌てて駆け寄ろうとした捲簾と天蓬だったが、その距離僅かにしても、
立ちはだかる本の山に足を取られて思うように身動きが取れなかった。

「だぁ――ッ!!これだから片付けろってんだろ。」
「すいませんねぇ。」

捲簾の嫌味を持ち前の笑顔でサラリと流した天蓬が、いち早くの元に辿り着いた。
そんな天蓬とは反対に、未だ本に足を取られ新たな雪崩を起こしながら悪戦苦闘している捲簾。
ズボズボと僅かな隙間に足を踏み入れながら、二人の元に辿り着いた時には、
天蓬が本の中に突っ伏していたを抱き起こし、その頬を軽く叩いていた。
捲簾も心配そうに、少し顔色の悪いを覗き込んだ。

!大丈夫ですか?」

天蓬の言葉に弱弱しく反応したが、閉じていた瞼を開けた。

「・・・お腹すいた。」

開閉一番のセリフに、天蓬も捲簾も互いに顔を見合わせる。

「そっちかよ。普段からちゃんと食べてないんだろ?ほらよ、頼まれ物。」

呆れながらも、手に持っていた買い物袋を天蓬の腕の中のに差し出した。
途端、ガバッと元気よく立ち上がり、弱弱しい光りしかなかった瞳が輝きを取り戻していた。
意気揚々と、僅かに空いている実験机に捲簾から受け取った袋の中のものを出す。

「・・・青いミカンですか?」
「同じ食べるんなら熟れてる方が良かったんじゃねぇの?」
「いいのよ、青い事に意味があるのよvv」

いつものように悪戯な笑みを零したは、早速ホワイトボードに向かった。
それを黙って見ていた捲簾が、緻密に書き込まれていく構築式に首をひねった。

が食べるんだよな?」
「へ?まさか。金蝉に決まってんでしょ。」
「・・・可哀想なヤツ。」

ボソッと呟いた捲簾は、嬉しそうに構築式を書き進めていくを見ながらタバコに火をつけた。
その隣で天蓬もタバコを銜え、自分で火を点けるでもなく捲簾のタバコの先に押し当てた。

「ライター使えよ。」
「ガスが切れちゃいまして。」
「ま・・・いいけどよ。」

で?あれ何なわけ?

瞳だけで天蓬に問う。
二筋の紫煙が空中で一つに溶け合い、高く立ち上り消えていく。
それをメガネの奥の瞳で追っていた天蓬が、視線を捲簾にと移し変えた。

「何でしょうね。」
「勿体つけずに教えろって。」
「ダイエットでしょうか?」
「金蝉にか?必要ねぇだろ。」
「それもそうですね。なら・・・」
「金蝉の好き嫌いを直す薬よ。って言っても、一時的だけどね。」

手を休めること無く、捲簾の疑問に答える。

「好き嫌いって・・・女か?」
「それは別。食べ物よ。」
「と言う事は、肉ですか。」
「そ。・・・・・・だってお腹空いたもの。皆で焼肉なんて行きたいじゃない。」

ようやく完成した構築式を再度確認したが、満面の笑みで振り返った。
その笑顔に苦笑しながらも、その提案に反対する理由もなく。
捲簾と天蓬は互いに顔を見合わせた後、苦笑いを悪戯な笑みに変えた。

「そういうことなら、金蝉のヤツ引っ張ってくるか。」
「いいの?」
「おう。引き摺ってでも連れて来てやるぜ。」

そう言いながら、意気込んで出て行こうとした捲簾を天蓬が止めた。

「ココじゃなんですから、直接焼肉店まで連れて行ってください。」
「わ〜ったよ。で?」
「いつものトコ。」
「了解。後でな、お二人さん。」

ひらひらと手を振りながら出て行く捲簾を見送った後、天蓬はの実験に加わった。
器材を並べているの横に、必要な薬品を置いていく。
構築式を解いた天蓬だったが、一つ疑問に思ったことを口にした。

「これって青林檎でもよかったんじゃないですか?」
「え?まぁ、どっちもどっちなんだけど。青いミカンの方が金蝉にあってるのよvvv」
「ペクチンとリパーゼですか。」
「体質よ。”冷え性、運動不足、炭水化物中心”って、もろ金蝉に当てはまるでしょ。」
「あ〜。確かに、そのままですね。」















それから小一時間ほどで薬は完成した。

ビーカーの中で揺れる黄色い液体。
それを前に、難しい顔で腕組みする
その反対にのほほんとしながら、タバコを銜えてアルコールランプで火を点けている天蓬。
タバコを深く吸い込んだ後、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
メガネの奥の瞳を細めながら、困り顔のにふっと口元を緩めた。

どうやって飲ませるか考えるくらいなら、最初から素直になればいいんですけど。
この二人は、お互いに素直じゃないですからねぇ。
そんなところも可愛くて、放っておけないんですけどね。


「大将と知り合いなんですから、ドリンクにでも仕込んでもらえばいいじゃないですか?」
「あッ、それいいね。そうしてもらお。」
「では行きましょうか。」

薬をペットボトルに移し変えて、二人は行きつけの焼肉店へと向かった。




















晩御飯にはまだまだ早い時間。
御昼ごはんには遅すぎる時間。
しかも焼肉店とくれば、閉店・・・基、夜の準備をしている最中。
ドアには準備中の札が掛けられている。
それでも、気にすること無くがドアを開いた。

ピンポン、ピンポ〜ン♪

軽い電子音が来店を告げる。
それに反応して中から慌てて駆け出してきたウエイトレス。

「あの・・・お客様。」
「大丈夫よ。大将いるんでしょ?」
「え、あ、はい。お待ち下さい。」

ペコリとお辞儀をして、また慌しく奥に駆け込んでいく。

「初々しいですね。」
「そうね。最近雇ったのかしら。」

がそう口にした時、ウエイトレスが揺らしていた暖簾からこの店の大将が顔を覗かせた。
そしてと天蓬を確認して、ニヤッと口元を緩めた。

「そろそろ来る頃だと思ってたぜ。入んな。」
「すいません、いつも突然で。」
「あ〜、かまわねェよ。だろ、言い出したのは。」

左目をスッと細めながら、胸元からタバコを取り出して銜えた。
両目を細めているのだろうが、生憎右目には漆黒の眼帯がはめ込まれてある為、それは分からなかった。
一筋立ち上がった紫煙を追いながら、が声をかけた。

「是音、ちょっと頼みがあるんだけど。」

悪戯っ子のような表情のに、是音が隣の天蓬に視線を向けた。
昔からこんな表情をする時は、何か悪戯を考えている時だと知っているから尚更だった。
是音の視線をヘラッと笑いながらかわした天蓬。
それに肩を竦めながら、諦めたように蒼い瞳を捉えた。

「で?」






それから暫くして、捲簾に文字通り引き摺られる様にしてやってきた金蝉。
開店していない店のドアを躊躇なく開き、中に入る。
いつもなら静かな開店前の店だろうが、今日はやたらと盛り上がっていた。

「・・・よりによって、焼肉か?」
「まあいいじゃねぇの。サラダもあるしよ、固いことはなしってな。」
「フン。」

「お!来たな、駆け付け三杯だ。飲みな。」

是音が二人にグラスを差し出した。
一つには透明の液体が、もう一つには黄色い液体が注がれていた。
日本酒とビールだ。
迷うこと無く日本酒のグラスを受け取った捲簾が、一気にそれを煽る。
そんな捲簾とは反対に、躊躇いがちに受け取った金蝉もグラスの中の液体を静かに流し込んだ。

「っく〜。うめェな、やっぱ。」
「そりゃそうだ。が持ってきたんだぜ。」

そう言った是音が、テーブルの上に一升瓶をドカッと置いた。
その瓶を見た捲簾の表情が一瞬にして変わった。

「黒龍じゃねえか!」
「純米大吟醸”しずく”。捲簾にプレゼントするわ。」
「いいのか?予約限定でしか売ってないぜ、これ。」
「前に捲簾だけ何もあげなかったでしょ。香水よりこっちの方がいいかなって。」

『香水』の言葉に、微かに金蝉の眉が上がる。
ゆっくりとだが飲みきって空になったグラスをテーブルに置いて、改めて靴を脱ぎ座敷に上がった。
テーブルを挟み、と向き合うように腰を下ろす。

「テメェのせいであの時は散々な目にあった。」
「あら?そう、まんざらでもなかったようだけど。」
「まぁ、まぁ。もう済んだ事ですから、金蝉も落ち着いて。」

放っておけば言い合いになりそうなのを天蓬が止め、捲簾も靴を脱いで金蝉の隣に腰を落ち着けた。

「そんな過去の事は忘れて、食おうぜ?」

がしっと肩を抱いていた倦簾の腕を、邪魔だとばかりに払い除けた金蝉が、新たに注がれていたビールを一気に煽った。
勢いにまかせて空になったグラスをテーブルに置く。

「何があったかは知らねぇが、とにかく食いな。」

是音が厨房から数種類の肉の乗った大皿を運んできた。
四人の前にどんと置かれた皿。

「やっぱり肉よねv」
「そうですね。栄養付けておかないと。」
「っしゃ〜!食おうぜ。」

やれよやれよの三人とは違い、金蝉は肉を一瞥した後、是音に視線を向けた。

「あぁ、悪いな。野菜きらしちまってよ。」
「・・・に頼まれたのか。チッ。なら肉でいい。」
「肉ならあるじゃねぇか。」

その答えに、さすがの金蝉も眉を寄せた。
研究室や大学院校内ならともかく、ここは焼き肉店。
大将がの知り合いという事実を差し引いても、ごく一般的な店。
野菜中心で、根本的に肉が嫌いな自分が「肉」そのものを頼む事自体がおかしい。
整った顔に一筋の汗が流れた。
紫暗の瞳にを映す。
じゅうじゅうと肉を焼きながら、は綺麗に微笑んでいた。
天篷も倦簾も、悪戯に口角を上げている。

「てめぇら、今度は何しやがった!?」

米神を引き攣らせながら、金蝉が鋭い視線を三人に投げつける。
それに怯むこと無く、は焼きたての肉を金蝉の前の漬けダレの入っている小皿に入れた。

「ほら、焼きたて食べないと美味しくないよ?」
「つべこべ言ってねぇで、金蝉も食えよ。旨いぜ〜。」
「そうですよ。こういう時にこそ、普段食べない物を食べないと。そもそも、金蝉。
貴方、いい年して好き嫌いが多いんですよ。まったく、今時ベジタリアンだなんて。」
「俺の店の肉は最高だぜ。遠慮せずにじゃんじゃん食いな。」

や天蓬、捲簾だけならまだしも、そこに是音までもが加わった。
しかも駆け付けで飲んだビールがいつも以上に酔いを早めている。
言い返すこと無く、押し切られる形で遂に金蝉は肉に箸をつけた。
四色の瞳がジッと一点を見つめる中、金蝉は肉を口に入れた。

もぐもぐと口を動かす金蝉に、おそるおそる捲簾が話しかけた。

「・・・旨いだろ?」
「ん、ああ。悪かねぇな。」

初めての肉の味に満足したのか、先程までの疑惑の表情がなくなり、口角が緩んでいた。
それを見たが勢いよく声を上げた。

「おっしゃ〜!!是音、どんどん持ってきて!私の奢りよvvv」
「任せとけ。」

腕まくりした是音が厨房に戻っていく。
それを気にするでもなく、いつの間にか仕切りやになった金蝉が網に肉を並べていた。
薬の効果だと知っているたちは、面白そうにその様子を見ながら、次々に順序良く焼ける肉をほおばっていく。

「やりましたね、。」
「当たり前よ。私が失敗する事なんて無いわよ。」
「・・・にしても、あんなに食って大丈夫なのか?」
「おそらく、一生分の肉を食べてるでしょうね。いいんですか、?」

こそこそと話していた天蓬と捲簾を見つけた金蝉が、空になったビール瓶を捲簾の前に置いた。
酔いの回った瞳が鋭さを増している。

「こそこそ喋ってねぇで、追加だ。」
「へいへい。」

それから夜の帳が下りるまで、四人はありったけの肉を食べ、ビールや日本酒を次々に空けていった。
特にご機嫌になったのは、言うまでもなく金蝉だったのだが・・・・。















その次の日。

朝から不機嫌全開で研究室のドアを開けた金蝉は、中央に置いてあるホワイトボードに眼を向けた。
相変わらず緻密に書き込まれている構築式。
その横の机に散乱している実験器材の数々。
明らかに、つい昨日やりましたとばかりにビーカーの中に残っている黄色い液体。
二日酔いで痛む米神に指を押し付けながら、声を上げた。

!天蓬!貴様ら、隠れてねぇで出てきやがれ!!!」

ズカズカと室内に足を踏み入れ、ボードのところまで来た金蝉。
そこで違和感を感じ、その方を向いた。
この室内で唯一片付いている机。
その上にラッピングされた箱と手紙を見つけた。
眉を寄せながらも、その手紙を開く。
読み進むにつれて、わなわなと怒りで手が震える。

「・・・・・・・・・いい根性してんじゃねぇか!!!!!!」

怒りに任せて怒鳴った声に、思わず頭を抱える。
二日酔いの頭には十分過ぎるほどの大音響。
それと同時に襲い掛かる胃もたれ。
苦虫を噛み潰しながら、ラッピングされた箱を開ける事無く握りつぶした。
それをそのままに、金蝉は研究室を後にした。


嵐が去った事で、奥の仮眠室にいたと天蓬が姿を現した。
机に破り捨てられた手紙を見て、苦笑するのは天蓬。
反対に満足そうに微笑んだは、潰れた胃薬を手に持った。

「意地張らないで、飲めばよかったのに。」
「かなり怒ってますよ?」
「ん〜。いいよ、別に。昨日楽しかったから。」


一つの夢が叶ったから。
金蝉が怒っていようが、胃もたれしてようが。
初めて金蝉と焼肉した事が、とても楽しかったから。

蒼い瞳を細めながら、は窓から晴れ渡る空を見上げた。


「今度は何して遊ぼうかしら。」