いよいよ今年も残すところ後僅か。
研究室でも今学期の締めの研究論文の作成で慌ただしい時間を強いられていた。
White Christmas
いつも以上に積み上がった資料本の山。
いつも以上に所狭しと犇(ひし)めきあっている器材と薬品の数々。
そんな研究室を好き好んで訪れる者などいない。
いない・・・はずだった。
も天篷も、気兼ねなく各々の研究に没頭していた。
がりがりと頭を掻きながら、倦簾は手に持っている紙袋を見て溜息を吐いた。
「・・・だからって、何で俺が?」
何度それを捨ててやろうかと考えたか。
出来ることなら燃やし尽くしているだろう。
倦簾がイヤになるくらい、紙袋の中には大量の手紙が入っていた。
ラブレターじゃねぇんだよな。
そっちの方がどんだけマシだっての。
これをアイツに渡さなかったら、俺ってば大学院の生徒全員を敵に回しちまう・・・よな。
ガックリと項垂れた倦簾はついに覚悟を決めた。
研究室のドアノブに手を掛ける。
この時期、否、いつもの事だがノックしても返事が返ってきた例はない。
生唾を呑み込んで、倦簾は思い切り禁断のドアを開いた。
が、予想に反して何も崩れてこない。
訝しそうに眉を寄せながら、隠れていたドア影から姿を出した。
「おーい。・・・げっ、マジかよ。」
その瞬間、一気に押し寄せてくる雪崩に倦簾は顔を引きつらせながらも逃げ出した。
が、無常にも逃れる事が出来ずに見事に雪崩の下敷きとなる。
身体にかかる大量の本からやっとのことで這い出した倦簾はガックリと肩を落とした。
「・・・甘かった。溜めがあるのかよ、ったく。」
ずりずりとやる気なく紙袋を引き摺り、足場もそこそこの戦場に足を踏み入れた。
「天篷!!」
十数度目に呼んだときにようやく間の抜けた返事が返ってきた。
「・・・お前ね、何度呼ばせるんだよ。」
「いや〜。研究論文に没頭してたら・・・つい。」
「ついじゃねぇだろっ。」
呆れながらも、持ってきた紙袋を天篷の前に差し出した。
「差し入れですか。ありがとうございます。」
へらっと目元を緩めた天篷が紙袋の中を覗き込んで、次に訝しそうに倦簾を見上げた。
入っていたのは差し入れじゃなく、大量の手紙だから仕方ないだろう。
メガネの奥の瞳が倦簾を攻めるように鋭さを増した。
「何です、コレ?」
「まぁ、なんつうか・・・ラブレター?」
「はい?」
「見りゃ分かるって。」
倦簾の言葉で、天篷は紙袋の中の手紙を一通開封した。
そこには用件のみの短い言葉が綴られていた。
「・・・ラブレターじゃないじゃありませんか。それに・・・。」
「何?」
不意に二人の背後から声がかかり、続いて天篷の手から手紙がなくなっていた。
振り替えると、やはりが瞳を輝かせながら手紙を読んでいた。
「おもしろそうじゃない。」
「本気で言ってるんですか?」
「当たり前でしょ。化学に不可能はない!」
「つうか、お前の辞書にだろ?」
倦簾の言葉に悪戯な笑みを返したは、さっそくホワイトボードに向き合った。
今回ばかりはさすがのも頭を悩ませて、構築式を書いては消しを幾度も繰り返している。
「無理ですよ。自然現象を人の手でどうこう出来ないですって。」
「難しく考えるからそう思うのよ。要は空気中の気体に含まれている水分を氷結しちゃえばいいんだから。」
「・・・それだと雪っつうよりも氷が降ってくんだろ?」
「それでいいのよ。ある一部でいいから上昇気流を発生させて、上空の氷点下の部分まで気体を上げたら・・・」
天篷と倦簾相手に疑問をぶつけながら、手はホワイトボードの上を滑るように動きだした。
議論したことで、突破口が見つかったようだ。
「今回は金蝉も被害を被らなくて済みそうですね。」
「それならいいんだけどよ。まったくどっちも素直じゃねぇからな。」
「でも、確か空気中の水蒸気が上空で雪に変わるためには−24℃にならないといけないんですよね?」
「・・・へぇ。」
あまりに詳しい事で倦簾が頭を捻る。
そんな二人のやり取りなど聞いていなかったのか、が歓声をあげた。
どうやら構築式が完成したらしい。
「で、実験はするんですか?」
「しないよ。一発勝負に決まってんじゃん。」
「・・・失敗すんじゃねぇのか。」
「ありえないわね。」
綺麗に微笑んだに、倦簾はつられて引きつった笑みを落としていた。
そしてクリスマスイブの日。
大学院の第一グラウンドの中央にと天篷、そして倦簾がいた。
ここが一番規模の大きいグラウンドだからだ。
「やるわよ。」
「いつでもかまいませんよ。」
「俺、逃げてもいい・・・わけねぇか。」
「大丈夫よ。爆発までに微妙に時間あるから。」
そう言ったは間髪いれずに手に持っていた二つのビーカーの溶液を混ざり合うようにして地面に垂らした。
透き通った蒼色と白濁色の液体が地面に吸い込まれることなく混ざり合い、水溜まりとなって揺れていた。
「走って!」
ドカ―ン!!
かなりの爆音と、そこに周りから風が吹き付ける。
爆風から逃れようと走っていたが、あまりの突風でバランスを崩した。
中心に向かって吹き付ける風だから、自然と身体が持っていかれる。
「んの、バカがっ!」
グラウンドの外で見ていた金蝉が躊躇することなく駆け出していた。
天篷と倦簾がそれを見付け、態勢を立て直しながら後ろから来ているはずのを振り返った。
が、そこに彼女の姿はなかった。
「・・・予想外ですね。」
「まっ、いいんじゃねぇの。」
二人の視線の先で、倒れそうなの手を金蝉が掴み、胸の中に抱き寄せていた。
持っていかれそうになる身体を、地面に伏せることで食い止める。
「金蝉・・・。」
「るせぇ。黙ってじっとしてろ。」
暫らくして中心に吹き付け上昇していた風が止んだ。
金蝉の腕の中から抜け出して立ち上がったは服に付いていた砂埃を払った。
金蝉はそんなを一瞥した後、ようやく立ち上がった。
さっきまでは晴れ渡っていた空は、大学院の上空のみ黒く淀んだ重い雲が覆っている。
「・・・そろそろね。」
腕時計で時間を確認してから、再び見上げた空から一片の白がゆっくりと舞い降りてきた。
それに続くように、また一片、次々と白が降ってくる。
間違いなく、それは冬の贈り物。
が歓声を上げて隣にいた金蝉に抱きついた。
腕の中で喜びに溢れているを優しく、それでいてしっかりと抱き締めた。
ふわっと香る甘い香。
このままいっそのこと・・・。
金蝉が抱き締めていた手を肩に掛けた時、背後から聞き慣れた悪友の声がまったをかけた。
「やりましたね。」
「マジでやるとはな。まったくたいしたやつだぜ。」
そんな二人の言葉に満足し、金蝉の腕の中から出たは二人に向かってVサインを出した。
空からはまだまだ純白の雪が舞い降りてくる。
大学院の上空にしかなかった雪雲も、今や空一面に広がっていた。
の予想通り、ホワイトクリスマスになりそうだ。
「。。。みんな、喜んでくれてるかな?」
「少なくとも、僕達は喜んでますよ。」
「そうそ。じゃ、用件も済んだ事だし、そろそろ帰るか。」
先に歩きだした倦簾と天篷。
も一歩踏み出したところで、金蝉を振り返った。
「・・・ねぇ。どうしてココにいたの?」
「知るか。」
おまえの事が心配だったなんて・・・。
いつもみたいに俺相手に作る薬じゃなかったんだ。
何が起きても保障は出来ねぇ。
だから・・・。
首を傾げながら、なおも覗き込んでくるの頭を小突き金蝉は歩きだした。
「ちょ!待ってよ!!」
「るせぇ。おまえが遅いンだろおが。」
後ろから懸命に走ってきたが追い越し際に金蝉に小さな箱を投げ付けた。
突然の事で、掴み損ねそうになるのを、間一髪でその大きな両手の中に受けとめる。
「金蝉!ありがとね。HAPPY X'mas.」
ぶんぶんと手を振り、駆け去って行くの姿が見えなくなるまで、金蝉はその場に立ち尽くしていた。
深々と降っている雪の冷たさで、ようやく気が付いた金蝉はが投げてよこした小箱を開けた。
中には純銀製の小さな雪の結晶が付いたネックレスが入っていた。
「くくっ。やられたな。」
満更でもない様子でそれを付け、胸元で揺れる雪を弄ぶ。
お返しには何がいいか。
それだけを考えて。
冷たい雪が降り積もる。
けれども心は暖かい。
これがからのクリスマスプレゼント。
空から降り注ぐ純白の冬の贈り物。
よいクリスマスを・・・。
後書き