壁に掛かったカレンダーを、月が替わってから毎日穴が開く程見つめていた金蝉。
悩み事はただ一つ。
バレンタインのお返しの事だ。

思い出すだけで腹が立つ。
子供に戻った金蝉をおもちゃに、観世音菩薩は丸二日いいように楽しんでいた。
やりたい放題、すき勝手。
まさにその言葉通り。
いい加減、溜息しか出てこない。
そんなヒドイ事をされたが、やはり貰ったモノは貰ったわけで・・・。

「くそッ。かわいくねぇ。」

にいつも遊ばれようが、やはりこの気持ちは隠せない。
本来ならイベント事にのる気はないが、ここは仕方がないだろう。
深々と溜息を吐き出し、金蝉は財布を掴み部屋を後にした。










ドアを開けると必ず何かが降ってくる。
降ってくる・・・というか、雪崩が起きてんだよ!と倦簾には突っ込まれるが。
そんな事、や天篷には容易に避けられる。
今日も頭上から降ってきた一冊の『薬品薬剤総大全』なる本を見事に受けとめた
まじまじと本の表紙を見ながら「探してたのよ。」と嬉々とした表情で研究室に入ってきた。

「おはよう。・・・天篷、お・は・よ!」

相変わらずトリップしている天篷の耳元で声をかけると、ようやく気付いた天篷がずれたメガネを押し上げながら
「おはようございます」とへらっとした笑みを浮かべた。
それに満足したは部屋に充満している紫煙を出すために窓を開けた。
ふわっとした風が頬を掠めていく。
今年は例年にない程の暖冬で、三月半ばで既に桜が七分咲きになっている。
もしかしなくても、入学式には保たないだろう。

「花さかじいさんじゃなくて、花保たせじいさんが必要ですね。」
「ホントね。・・・暇だし、薬作ってみようかしら。」

ぱらぱらと薬品薬剤総大全を捲りながら、が小首を傾げた。
院の為に薬を作るより、やっぱり金蝉にちょっかいを出す方がおもしろい。

なら、両方を満たす薬を作る?

思案しながら、ホワイトボードにすらすらと構築式を書き連ねていく。
ものの数分で書き上げ、オフホワイトのジャケットをロッカーに掛け、代わりに白衣を羽織った。
腕まくりをしたの元に、穏やかな笑みを浮かべた天篷が近寄ってきた。

「あ、天篷。そこの棚からビーカーと丸底フラスコ出して。」
「ええ。ですがその前に、これ受け取って下さい。」

そう言われて差し出された包みを受け取った。
包みといっても掌サイズではなくて、箱に入っているのか少し大きかった。
何が何だかまだ理解出来ていないまま、綺麗なラッピングを取り払っていく。

「これ・・・COACHのトートじゃない。こんな高価なモノ受け取れないわよ。」
「ホワイトデーは十倍替えしと決まってますよ。それに返品不可なんですよ、それ。」

貰って下さい、とへらっと微笑みながら再度渡されたトートを受け取った。

「ありがとう。なら使わせてもらうわ。」

そう言ったの声と共に聞こえてきた悲鳴に、二人は視線をドアへと向けた。
際どいバランスを保って積み上げられていた本の山が崩れていく。
せっかく積んでたのに、あ〜あ。なんて思っているとは裏腹に、その山の下敷きになった倦簾は怒りを押さえながら勢い良く立ち上がった。

「だ〜か〜ら!てめぇら片付けっつう言葉くらい覚えろよッ!!」
「そんな事知ってますよ。」
「今時、子供でも知ってるわよ?」
「知ってんなら実行しろッ!」

訪れた目的がなんなのか解らないまま、倦簾は勢いそのままに片付けだした。

「ありがと、倦簾。」
「おまえらも手伝えッ!」
「仕方ありませんね。」

肩を竦めながら片付けに参加した天篷と
三人よればなんとかで、半時間も経たないうちにすべてが綺麗に片付いた。
ふぅ、と一息ついたの前にまた違う包みが置かれた。
その手を辿って顔をあげる。

「ホワイトデーなんだけど?俺と付き合ってくれねえってな。」
「じゃあ実験台になって!」
「・・・遠慮しとく。」

残念ね、と呟きながらラッピングを解いていき、再度固まった。
中から出てきたのは、こちらもCOACHのキルティッドポーチと二ツ折財布だった。

「だから・・・こんな高価なモノ受け取れないわよ。」
「だったら俺と付き合うってどうよ?」
「だから実験台になって?」
「まあまあ、受け取って下さいよ。僕達からの気持ちです。」
「なら、ありがとう。」

受け取ったプレゼントをロッカーにしまい、はすぐさま実験に取り掛かった。
カチャカチャと薬品のビンが触れ合う。
あれこれと複数のビンが実験机の上に所狭しと並んでいく。
倦簾と天篷はそれを見ながらタバコに火を点けた。

「にしても、毎度のことながらよく思いつくよな。」
「尊敬しますよ。さすが祢健一博士の」
「はい!それ以上言わない!!」

二人を見ることないままそう言って、実験を進めていくに聞こえないくらいの小声で、懲りない倦簾はまた話しだした。
内容は代わって金蝉の事だ。

『あいつの事だから、絶対根に持ってんだろ?お返しはなしか。』
『そうでしょうね。観世音菩薩にいいオモチャにされてましたからね。』
『そうだよなぁ。』
『にしても、倦簾。貴男も何アタックしてるんですか。』

天篷の言葉に悪怯れない笑みを零しながら、倦簾は窓から舞い込む薄紅色の花弁を目に捕らえた。
そしてその向こうに見える不機嫌そうな金色の太陽に、目を見張る。

『・・・来た。』
『はい?』
『だから、あれ。』

倦簾の視線の先に話題に上っていた金蝉の姿を見つけた。


そして待つこと数分。


研究室のドアが前触れもなく開いた。
実験に集中しているは金蝉が来た事にまったく気付かない。
金蝉はそんな事気にも止めず、ずかずかとの元に歩いていった。

何をするのか

何が起きるのか

天篷と倦簾は固唾を飲んで金蝉の出方を伺った。
ビーカーに溜まった薄碧の液体に試験官の中の紅色の液体を静かに注ぎ込んでいるの手を金蝉が掴んだ。
何が起きたのか瞬時に理解出来なかったは小さく息を飲み、金蝉の真直ぐな紫の瞳を受け止めた。

「俺と結婚してくれ。」

突然の予想だにしない言葉に軽く数分は固まった
もちろんそれは天篷たちとて同じだった。
何も言わず、瞬きだけを繰り返すに金蝉は再び同じ言葉を紡いだ。

「・・・金蝉、熱あるの?」
「んなもん、ねえよ。俺は本気だ。」
「あっ。エープリルフールだ。」
「往生際の悪いヤツだな。いい加減、俺のモンになりやがれってんだよ!」

金蝉の胸に抱き寄せられ、塞がれる唇。
与えられる初めての感覚に体の力が抜けていく。

流される・・・。

そう思った時、パリンとガラスの割れる音で我に返ったは力一杯金蝉を突き飛ばしていた。
だが、結局は女の力。
男の金蝉に適うはずもなく、逆にその手を掴みとられた。
そして、左手の薬指にはめられる指輪。

永遠の煌めき。

あまりに非現実的、予想外の出来事に為す術もなく、は金蝉のされるがままになっていた。
そんな中、ぶわりと舞い上がる白煙。

せっかくを自分のモノにしようとしている時に、なんなんだ!?

そう思った金蝉が訝しげに視線を巡らせて、その出所が己の足元だと気付いた時には既に手遅れだった。
ふつふつと泡立つ紅色の液体が、遂に小さな爆発を起こした。
降り注ぐ薄紅色の無数の花弁。
立ち上がる桜の香。
唖然としている金蝉の手を振り解き、桜の海を逃げていく
その頬は桜と同じくらい薄く色付いていた。

「ッ!待ちやがれ!!」

追い掛ける金蝉はいつになく真剣で・・・。

「・・・本気だ、ありゃ。」
「そのようですね。まったくいつまで逃げてるんでしょうね、も。」
「意地っ張りだし?」
「ええ。ですが、今回ばかりは・・・・・・。」

目元を緩めた天篷が視線を外に移した。
桜の花弁がちらちらと舞う中、遂に金蝉がを捕まえていた。
重なり合う二人に春の柔らかい日差しが降り注いでいる。

「春ですね。」
「ああ。花見でもするか。」