カリカリとノートの上を走っていた手が止まった。
シャープペンシルをコロンと、手から転がす。
行き場を求めるように転がったそれは、机の上の卓上カレンダーに当たって止まった。
ノートと参考書をパタンと閉じ、机の引き出しにしまう。
机の上に残っているのは、転がったシャープペンシルと卓上カレンダー。
それと、その隣にある一つの写真立てのみだった。
は溜め息混じりに、その写真を手にとった。
それは、年の離れた恋人と一緒に撮った写真。
付き合いだして初めてのデートの時に撮ったものだった。


それが今から半年前の事。


その後、逢ったのは一回だけ。
仕事の忙しい焔と、今高校三年で受験を控えている
互いにゆっくりした時間をもつこと事態難しい。
最初の頃は寂しさを埋めるように、ケータイで話したり、メールをしたりした。
が、やはり逢えない寂しさは拭えない。
それに、最近は追い込みが迫っていて自身も忙しく、声を聞いたのはいつだったか忘れてしまった。
考えたくないけど、嫌な考えが頭を支配する。





不安になる。
信じてないわけじゃないけど。
泣きたくなる。
・・・貴方が足りない。
私だけなの?
こんなに苦しくなるのは。
もう我慢できない。
我儘だって解ってるけど止められないよ。





は意を決し、部屋を出た。
階段を下りると、リビングにいた母が顔を出した。

「出掛けるの?」

心配そうな表情の母に、返事の代わりに頷きかえした。
何かを察したのか、フッと柔らかい顔に戻った母。

「夜なんだから、気を付けて行くのよ。」
「分かった。行ってきます。」

秋深くなってきたこの季節。
リンリンと鳴く虫の声を聞きながら、は自転車を走らせた。





只ひたすら・・・。
今すぐ逢いたい。
その気持ちだけを胸に。






一度しか行った事がない焔の住んでいるマンション。

でもちゃんと覚えてる。

歴史の年号を暗記するより。

化学の化学式を暗記するより。

数学の公式を暗記するより。

何よりも簡単なこと。





辿り着いたマンション。
駐輪場に自転車を止めるのもそこそこに、はエレベーターに飛び乗った。
最上階の焔の部屋。
乱れる息を整えながら、インターホンを押した。
このドア一枚越しに大好きな焔がいる。

高鳴る鼓動。

けれども、いくら待ってもインターホンから焔の声は返ってこなかった。

開かないドア。
埋まらない距離。

諦め切れずに再度インターホンを押した。
ドアを叩いても、やはり返ってこない声。

悲しくて。
切なくて。

耐えていた涙が頬を伝い落ちた。
ズルズルとドアに寄り掛かりながらしゃがみこみ、涙を隠すように膝を抱えた。




















「はい。ええ、分かりました。わざわざすいません。はい。失礼します。」

そう言ってケータイを切った焔。
何事かと遠巻きに様子を見ていた是音と紫鴛。
そんな彼らの視線に気付いた焔だが、何も言う事なくデスクの上に山積みにされている書類と、
パソコンのCDロムを無造作にカバンに詰め込んだ。

「焔、何かあったのですか?」
「ああ。悪いが今日は帰る。データは後で転送する。」
「かまいませんが・・・。お気をつけて。」

紫鴛の言葉を微かに聞きながら、焔は部屋を飛び出していた。
会社の地下駐車場に停めてある愛車に乗り込み、迷わずアクセルを踏み込む。
夜でも車の多い都会。
何度も信号に足止めされながら、ようやく自分のマンションに辿り着いた時には電話を受けてから一時間も経っていた。
逸る心を落ち着かせながら、カバンを手にエレベーターのボタンを押した。
辿り着いた最上階。
エレベーターを降りて一つしかないドアの前を見たが、そこに恋人の姿はなかった。

「・・・遅かったか。」

諦めきれない思いを抱きながら、鍵を開け中に入った。
真っ暗な室内。


軽い音で暗闇はなくなる。
だが、俺の心の闇はなくならない。
それどころか、ますます深みを増していく。
寂しさなんて気にならない。
生まれてから、一人が当たり前だと思っていた。
けれども、に出逢ってから俺の心に何かが生まれたんだ。
逢えない寂しさ。
聞けない声。
聞いてしまえば、押さえつけている気持ちが暴走してしまう。
手に入れたい。
自分の傍に居て欲しい。
大人の欲望が剥き出しになりそうで。
・・・怖い。
純白のの心を、己の醜い欲望で染めてしまうのが
・・・怖い。


不意に鳴り出した携帯電話。

か?」

確認した画面はの家からの着信を告げていた。
それが何を意味するのか。
胸に走る嫌な予感。

「はい。」









エレベーターを飛び出した焔。
マンションの前で一度立ち止まり、左右を見た。
街灯で照らし出された道路に人の姿は見えなかった。
焦る気持ち。
苛立ちを抑えながら、ネクタイを緩め、シャツの首もとのボタンを外した。

「どっちだ。」

方角からしての家に向かう方の道に進みかける。
が、ふと思い立った焔は踵をかえした。
反対方向に少し行くと、高台の公園にでる。
100%の確信はなかったが、もしかしてという淡い期待があった。
一度だけそこに連れて行った事があったから。

「頼む。居てくれよ、。」

最近は何かと物騒になった世の中。
この辺りは、いわゆる住宅街で街灯も多い。
あまり暗闇になるような場所は無いと解っていても、やはりは女の子。
何かあってからでは遅い。
息が上がるのも気にせず、を探す為にひたすら走った。











高台の公園から見下ろした街は、夜なのに明るい。
眠らない街。
寝る事を忘れてしまったのか、明るく輝くネオンが眩しい。



こんなに明るいのに。
私の心は暗いよ。
深い、深い海の底。
光りの届かない深海で、恋焦がれるのは温かい光り。
優しく包み込んでくれる光り。



見上げる夜空に星は見えない。
下界の明かりが眩しすぎるのか、儚い光りはここまで届かない。
空に伸ばしかけた手を躊躇いがちに止め、それを街の方に伸ばした。
届きそうなほどの光りをその手に握りしめる。





もし 願いが叶うなら

貴方に逢いたい

もし 願いが叶うなら

その腕に抱きしめてと願うよ

流れる車のライトを

夜空の流れ星だと思いながら

そんな願いをかけるんだ





「・・・焔、逢いたいよ。」

「待たせたな、。」

聞こえるはずの無い声、焔の声。
叶うはず・・・ない。
星に願った訳じゃないのに。
でも、待ち望んだ声。
大好きな声。
振り返ると、そこには肩で息をしている焔が立っていた。
驚きと嬉しさで瞳から無意識に涙が零れた。

「ほ・・・ほむ・・・ら。」
「ダメじゃないか。」
「え。」

逢いたかったと言ってくれると思っていた。
でも、返ってきた言葉は正反対のもの。
焔に拒絶された気がした。
溢れ出す涙が地面にポタポタと染みを作っていく。
どうしようもなくて。
堪えていたものが、堰を切って溢れ出す。
焔の色違いの瞳から逃れるように、俯き視線を逸らした。

「バカ。どれだけ心配したと思ってるんだ。」

瞬間、焔の胸に強く抱きしめられた。
耳に聞こえてくる焔の心音。
肩に感じる焔の呼吸。
身体に感じる焔の体温。
その全てが、言葉の重みになっていた。

「・・・ご・・・め・・・なさ・・・・・い。」

嗚咽を漏らしながら、搾り出すように謝った。
何度も。
何度も。
焔のシャツを握り締めて、涙を落とした。

「解ったから。もう泣くな。」

焔の大きな手がの頬に掛かった。
指で流れ落ちる雫を拭ってくれる。
瞳に涙を溜めたまま、そこに焔の姿を映した。
金と蒼のオッドアイが優しく細まった。

「寂しい思いをさせたな。すまなかった。」

そう言った後、羽根が降ってくる様に柔らかく落とされる口付け。

今日までの寂しい時間が
心にあった不安が
離れていた距離が埋まっていく。
温かく満たされた心。


「愛している。」
「焔・・・。私も、愛してる。でも・・・・・・不安だったの。」
「心配するな。俺が愛するのは、後にも先にもお前だけだ。」



この胸に抱きしめた確かな存在。
俺も、本当はこのまま帰したくはない。
ずっと傍にいて欲しいと願ってしまう。
だが・・・。
は、将来に向けてやらなければならない事がある。
俺の・・・
大人の醜い欲望で、それを壊す事なんて出来ない。
だから、ゆっくりでもいいから。
ちゃんと大人の階段を上ってこい。
俺は、いつまでもココで待っているよ。
お前が素敵な大人になる日を。
迷うようなら、振り返って手を差し伸べてやる。
お前の進む道を照らしてやるさ。
だから、今は。



「さあ、遅くなるとお母さんが心配する。送っていくよ。」
「うん。」

互いに取り合った手。
互いに見詰め合った瞳。
重なり合ったその温もり。
俺はこの手を離すことはない。


いつまでも変わらぬ愛を誓うよ。

溢れんばかりの愛を受けて、大人になれ。
溢れんばかりの愛を注いで、華を咲かせよう。
この世でたった一つの、可憐で愛しい愛の華を。








10000HIT有難う御座いました。
ひとえに、皆様の支えがあってこそです。
遅くなりましたが、ここに想いを込めて私からの感謝の気持ちを贈ります。
これからも頑張って行きますので、どうぞ宜しくお願い致します。


フリー配布ですので、ご自由にお持ち帰り下さい。
ですが、著作権は放棄しておりませんのでもし飾って頂けるのであれば、
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また、その際に恐縮ですがBBSかメールにてご一報下さいませ。

蒼稜 06.10.07

後書き