――― 見上げた空 ―――
「もう待てない。それに・・・仕事で転勤しないといけなくなったから。だから」
頭の中でこだまするセリフ。
――別れましょ。
忘れようとしても、それを嘲笑うかのように、鮮明に記憶しているの言葉と表情。
寝たのか寝てないのか解らない、ぼんやりした意識で鮮やかな髪を掻き毟った。
早朝に似付かわしくないヤケクソな叫びが悟浄の口をついて出た。
「だぁ〜ッ!!!」
ありえないだろ?
そりゃ、確かに俺はホストだ。
お客を抱く事はないにしろ、要望があれば同伴出勤もしないといけねぇ。
仕事の時間もとはまるっきり逆。
俺が帰ってきて寝る頃には仕事に行き、俺が行く頃にが帰ってくる。
すれ違いの毎日。
二人きりでゆっくりデートなんてした事なかったっけか?
でも俺にしてみりゃ、デートよりも家にいてあいつのすべてを感じてたいってのが本音だし。
ただ、傍にいてくれる。
それだけで疲れて荒んだ心が軽くなる。
そんな存在が、俺が唯一本気で手に入れたいと思った女、だった。
・・・俺の都合しか考えてなかった。
あいつは・・・どんな想いで毎夜過ごしてたんだ。
くそっ!
ナンバーワンホストが聞いて呆れるぜ。
マジ、かっこなんて気にしてられっかよ。
絶対連れ戻す!
顔にかかって邪魔な髪を後ろで無造作に縛り、ジャケットを掴んで部屋を飛び出した。
昨日言ってたフライト時間は午前九時。
「朝も早いし、もう一緒にいられない。さよなら。元気でね。」
あれから俺は何もかも手に付かなくなった。
ただぼんやりとして、仕事にも出ちゃいねえ。
ま、行ったとしてもうわの空だったろうし。
大通りに出て捕まえたタクシーに飛び乗って、通勤渋滞の道をいらいらしながら空港に向かう。
何度運転手を急かしたところで渋滞がなくなるわけでもない。
苛立ちを火の点いていないタバコにぶつけ、ただ一心に祈った。
――間に合ってくれ。
ようやく空港に着いたのが五分前。
人の合間を掻き分けながら目指す搭乗口。
そこに辿り着いた時には既にゲートが閉まった後だった。
「マ・・・ジかよ。」
へなへなと崩れ落ち、人目も気にせず床に拳を叩きつけた。
何度も、何度も。
伝わる痛みが現実である証。
ぽたりと一雫涙が拳に零れた。
情けなくて。
やるせなくて。
どうしようもなくて。
気付いた時には、何もかも失った後・・・か。
「くそっ。頼むから・・・戻ってきてくれ。ホストが嫌なら違う仕事探すからよ・・・。」
柄にもなく流れ出る涙をぐいっと手の甲で拭い、空を翔る白銀の翼を振り仰いだ。
見上げた空に一筋の飛行機雲。真っ白なそれが青を引き裂くかのように鮮やかに存在する。
「頼むから・・・。」
「頼むから、何?」
「戻ってきてくれ。」
そこまで無意識に答えていた悟浄は、驚いて声がした方を振り返った。
そこには悟浄と同じで涙に濡れたがスーツケース片手に立っていた。
「ッ?!」
「さっきの言葉、本気?」
「・・・どれよ。」
擦れる声で聞き返す。
「違う仕事・・・探すって。」
「おまえが戻ってきてくれんなら、ホスト辞めて普通の仕事探す。だから、戻ってきてくんね?俺、おまえがいないとダメなんだわ。」
失いかけて初めて気付いた、が俺の中に占める大きさ。
その大切さ。
まだまだ零れているの涙をそっと拭い、存在を確かめるように強く、強く抱き締めた。
耳元でもう一度問い掛ける。
「な。戻ってきてくんね?」
「うん。」
「マジ!?やっべ。ゴジョさんマジでうれしいんだけど。愛してんぜ。」
どちらからともなく重なった唇。
離れかけていた糸がまた繋がった瞬間。
見上げた空に刻まれた白は、それはこれからの二人のスタートライン。