――― 甘く柔らかに ―――





なんとなく行きたくなくて。

それが理由かなんて、こじつけ以外のなにものでもなくて。
でも、臆病になってしまった心は取り戻せそうにもなくて。

「退屈…」

窓から入ってくる風は秋の香りを含み、それでいて太陽の熱は暑くて、そのギャップがどうも気に入らない。
ベットに寝転んだ状態で、風に揺れるカーテンの隙間から高い空を見上げた。
雲ひとつない空は、本当に高くて。
手なんか届かないのも分かってるけど、それでも手を伸ばしてしまう。

アイツもそう。

絶対に手の届かない存在だったのに。
なんの気まぐれか、はたまた、周りの友達のせいか。
一学期の終わり頃から、ちょくちょくと私の前に現れるようになった。
そのせいだろう。
二学期が始まってから、幼稚ないじめが始まったのは。
上靴を隠されるのは当たり前。
ノートや教科書の落書きも当たり前。
ああ、そういえば、昨日は鞄が切り刻まれていたっけ。
別に買い換えればすむモノだから、どうこう言うつもりもないけど。
はなから相手にしなければ、向こうもその内やめるだろうと思ってはいたものの…。
こうも凶器を影にちらつかせられると、恐怖心が芽生えてくるのは当たり前。

「あ〜あ。いい迷惑だよ、ホント。」

嫉妬で苛められるなんて、ホントいい迷惑。
寝返りを打ったら、机の横にかけていた鞄が目にとまる。
誰がやったかなんて知らない。
聞きたくもない。
おおかたクラスのほとんどの女子だろうけど。
あの傷の一つ一つが、もし自分に向けられたら…。
平穏なスクールライフを過ごしたかったのに、これから後一年半もあるのに、どうしてくれよう。
もう一度盛大なため息を吐いて、目を閉じた。


いつの間にか眠ってしまっていた私は、嵐のようなインターホンの音に現実に戻された。
煩いなぁと思いながら、壁掛け時計を見上げる。
時刻は12:30
真昼間から、このチャイムの嵐。
一昔前に流行ったピンポンダッシュか?
憤りを感じながら、玄関に向かった。
階段を下りていくと、チャイムの音に混じってドアを叩く音もはっきりと聞こえてきた。

まさか…家まで?

そんな事を考えた瞬間、それまで煩く鳴っていたチャイムもドアを叩く音もしなくなった。
不振に思い、一歩足を踏み出す。
音さえたてなければ、外にいる人に私がいるかどうかなんて分からない。
鍵も閉まってるから中には入れない。
私は……安全。
だから、慎重に、ゆっくり、ゆっくり…。

ピンポ〜ン



ガタッ!


早鐘を打った心臓が耐え切れず、思わず身を竦めた時に、下駄箱のノブにかかっていた靴べらに体が当たってしまった。
固唾を呑んで、その場に固まる。
動けない。
怖い。

ピンポ〜ン



続くノックの音。
さっきはドンドンとドアを叩いていたが、今はコンコンと軽いノックの音。


ピンポ〜ン



「すいません、開けて下さいませんか?」

柔らかな声音で、警戒心すら解いてしまう声。

「八戒さん?」
「ええ。」

凍り付いていた体が再び動きを取り戻した。
玄関の鍵を開けて外に向かってドアを開ける。
半分ほど開けたところで、八戒がノブを引いて姿を現した。

「大丈夫ですか?」
「え?…ああ、別に病気ってほどでもないの。」
「違いますよ。もう、分かってますから。」


今日、欠席した言い訳?


「僕たちのせい…ですよね。すいませんでした。」

そう言って頭を下げる八戒。
と、その後ろに蹲る二人の姿が目に入った。

「あ…れ?悟浄さんに悟空さんまで。どうしたんですか?」

頭を抱えて蹲る二人が、の声で顔を上げた。
見間違いかもしれないが、その目に薄っすらと涙が見えた気がする。

「心配しなくても大丈夫ですよ。少しばかり先走りすぎて近所迷惑も顧みず、またの迷惑も考えなかった行為が招いた結果ですから。ね、二人とも。」
「「ハイ、スミマセンデシタ。」」

にっこりと笑った八戒が微妙に黒かったのは見なかったことにしておこう。

「一番の原因は三蔵のどっち付かずの態度だったんでしょうが、本当にすいませんでした。」
「……もう知ってるの?」
「はい。今日皆さんにはしっかりと釘をさして置きましたから、もう心配いりませんよ。」
「あ、ありがとう。」
「後はお二人で。」

はい?

なんの事か理解する間もないままに、八戒は蹲る二人を引き摺りながら帰っていった。
呆然としながら、その後姿を見送る。
視界から消えたところで、後ろ手に玄関のドアを閉めようとした。
が、見事に何者かに阻止される。
ビックリして振り返ると、太陽に照らされた金色が目に飛び込んできた。

「さ、三蔵さん!?」

「ああ。その……悪かったな。」

言葉を濁しながら、三蔵は謝った。
一体今までどこに居たのかという疑問も、その言葉でどこかへ吹き飛んでいってしまった。

「あ、いえ、別に。」
「だから、今から付き合え。」
「は?あ、え?どこに?」
「鈍いヤツだな、ったく。」

ふわっと抱きしめられる体。
高校生にしては似つかわしくないマルボロの香りに包み込まれる。
パタンと閉まるドアの音を遠くで聞きながら、三蔵の低い声に脳内が犯される。
夢を見ているような、そんな心地よさ。
行き場を失っていた手をそっと三蔵の背中に回す。



届かないと思っていた金色に、手が届いた瞬間。
甘く柔らかな触れるだけの口付けに、夢ではなく現実なんだと思った。





「秋、ですねぇ。」

心地よい風に弄ばれた髪を耳にかけながら、八戒は後ろを振り返った。

「なあ、八戒。腹減った!!」
「お昼も食べずに飛び出しましたからねぇ。食べに行きましょうか。」
「やり〜!!」
「つう事は、サボりか?」
「今日だけですよ。」

昼下がりの住宅街を歩いていく三人。
思うことは皆それぞれだろうが、それでも根底にあるのはと三蔵の幸せの事だった。