飛び立った場所

降り立った地

戻ってきた私の居場所

もう日本には帰らない

茶番には十分付き合ったわよ

私は・・・

そこにはいれない

私は・・・






††††† lost it ††††† act.8







愛想笑いすらない、氷のような冷たい蒼い瞳。
ただ毎日、黙って俺の隣の席に座っている。
授業を受けるわけでもなく、外を・・・特に空を見上げていたが今日はいない。
昨日言い合いをした時に倒れて、保健室へ運んでからはその姿を見てない。
クソババァが連れて帰ったと、後で祢のヤツから聞き、遣り切れない想いを壁にぶつけた事を思い出した。

「・・・クソ。」

苛立ち紛れに舌打ちして視線をの席に向けても、やはりそこは空のまま。


だいたい無理ばかりしすぎるから、こうなるんだろうが。
人の事を言えないが、食事だってまともに食ってるところを見たことすらない。
いつもサプリメントに頼っていたはず。
あんな小さな背中に、一体何を背負ってやがるんだ。



「・・・ぞ、三蔵。」

不意に呼ばれた声で彷徨っていた意識を戻した。
声がした方を見上げると、いつの間に来たのか八戒と悟浄が立っていた。
八戒の手にはいつもと同じ特大の重箱の入った包みが持たれている。
そこでようやく四時限目の授業が終わっていた事に気付いた。

「今日はさんお休みなんですね。」

八戒が窓際のの席を見つめた。

「三蔵サマが無理させてたしな?」
「てめぇ、あいつが勝手に・・・・・・・・・いや、いい。」

悪戯に細まる悟浄の視線を受け流し、その戯言にも付き合わず・・・。
三蔵は再び視線をの席に戻した。
ハリセンが飛んでくるものと覚悟していた悟浄は、そんな三蔵の様子に驚き肩を竦めながら八戒を見た。


口にこそ出さないですが、三蔵はのことが心配なんですね。


そんな三蔵の気持ちが解るからこそ、これ以上何を言っても三蔵を元気付ける事など出来ないと知った八戒は何も言わずに首を振った。
その時、元気な声が教室に飛び込んできた。

「ワリィ〜!!遅れた!!!もう腹減って死にそう・・・。八戒、飯。」

スッパーン!!!

「・・・っ、痛ぇな!」

涙ながらに訴える悟空を鼻であしらった三蔵はおもむろに席を立った。
つい先程までの思い悩んでいた表情は消え、いつもの三蔵に戻っている。
纏わり付いてくる悟空を小突きながら歩き出した三蔵を見て、翡翠と紅玉の瞳が交わった。

「とりあえず一安心ですかね。」
「ま、そんなとこだな。猿が煩いし飯にしようぜ。」
「ええ。」



















昨日、菩薩の邸から帰ってすぐに荷物を纏めた。
ルーには明日の朝一と言っていたが、ココにいる時間が惜しかった。
いいえ、惜しいというよりも苦しかったんだ。
このぬるま湯の中に浸かり続けている事が・・・。
苦痛でしかなかったから、一刻も早く自分の居るべき場所に戻りたかった。
だから慌しく空港に急ぎ、すぐにあった便に飛び乗った。
17:50発でケネディ国際空港着も同日17:50の5014便。
搭乗する前にルーに一報入れていたので、間違いなく空港に迎えに来てるだろう。





13時間に及ぶフライトと時差、そして風邪のせいでダルイ身体を引き摺るようにして、は入国ゲートを出た。
時差のせいであると頭で解っていても、今の体調ではこの旅はきつかった。
痛む米神を押さえながらも、遠退きそうな意識を繋ぎとめる。





こんなになったのは、もとをただせば菩薩の悪戯のせい。
私がそこに居る事自体おかしいんだから。
居なくてもいいものを、どうして居させるんだろう。
私の居場所はそこじゃないのに。
だからこそ、身体が悲鳴を上げる。
だからこそ、心が壊れていく。
今まで築いてきた私という全てが壊れてしまいそうだ。
毎日毎日、ぬるま湯に浸かり続けて時が過ぎるのを待つばかり。
そんな無駄な時間は、私にはないのに・・・。
この機会にもう辞退させて頂くわ。
茶番はもういいでしょ?
これ以上誰も私の中に入ってきて欲しくないから。





『お帰りなさいませ、社長。』

耳に馴染む聞きなれた声。
懐かしい英語。
ぼんやりとしていた視線を、声のした方に向けると金糸の髪が目に入った。
といっても、それは三蔵とは違い、細くて淡く透き通った金色をしている。
メガネの奥の琥珀色の瞳が優しげに細まる。

『随分急でしたね。』

そう言いながらルーはの手からスーツケースを受け取り、反対の手でを抱き寄せた。


入国ゲートを出てからずっとその姿を追っていた。
どこかぼんやりしていて、時折米神に手を置いていた。
帰国を早めた事といい、何かがあったとしか考えられない。
の両親が健在のころから、ずっと彼女の事を見ていた。
そして両親が他界してからは、ずっと彼女を支え続けてきた。
仕事の面でも、生活の面でもだ。
頼るものなどいらない。
信じられるのは己自身。
そう言って何もかもを拒み続け、自分を守ろうとしているに気付かれないようにルーはあらゆる努力をしていた。
だからこそ、少しの変化でも見逃さない。


抱き寄せた腕の中で感じる体温。
それは尋常ではないくらい熱かった。

『凄い熱じゃないか!』
「・・・平気よ。大丈夫だから。」
『ダメだ。病院に連れて行く。』

肩を抱かれ、強制的に連れて行かれる。
こうなったら何を言っても聞かないのがルーである。
今までの経験上抵抗しても無駄である事を知っているから、は諦めに似た溜息を吐き出した。


まったく、三蔵といい勝負よね。


無意識に頭に浮かんだ名前に、思わずの足が止まっていた。
それにつられてルーの足も止まる。

『逃げても無駄だぞ?』
「・・・・・・どうし・・・て」


何故?
何故、私の中にあいつの名前が出てくるの?
やめて!
やめて!
誰も私の心に入ってこないで!!
私を・・・壊さないで。
私を・・・


ぐるぐると視界が回る。
そして全ては闇に閉ざされた。




小さく呟いた瞬間にグラッと傾いていくの身体を危なげなく抱きとめたルーは、そのまま空港に隣接している病院へと向かった。



俺の中で疑問が確信に変わった。
は何かに怯えている。
日本に戻ってから今日まで、毎日のようにメールやケータイで連絡を取っていたが・・・。
思い返せば、電話に出る時に声を荒げていた事が多々あった。
理由を聞いてもいつもの冷めた口調で跳ね返され、望む答えは得られなかった。
今、がこうなった理由を知っているのはおそらくの親戚であり、事の発端の連絡を取り付けてきた観世音菩薩その人だろう。
俺自身が連絡を取ってみたところで、がいい顔をするはずがない。
かといって、このまま見過ごすワケにはいかない。



医者の診断では、極度の過労と風邪のウイルスのせいで体力が著しく低下しているということだった。
よくフライトに耐えられましたね、と呆れた口調で言われた。
それほどはボロボロだった。
入院を勧められたが、ルーは首を横に振った。
適切な処置だけしてもらい、まだ意識の戻らないを掛かり付けの病院へと連れて行った。
そこでの入院ならも渋々ながらも納得するはずである。
こんな状態で一人で家になんて帰せない。
むしろ一人になんて出来ない。
何をするか・・・検討がついてしまうからよけい心配なんだ。
今は意識を失っているが、気が付けば病気なんてどこへやら、パソコン片手に仕事を始めること請け合いだ。
この病院なら特別室に入ってるからパソコンも、ケータイも使用が許されている。
自分の監視下でなら、はそんなに無茶はしないから。


色々と細々な検査と、入院手続きをしていたので、時刻はもう20時になっていた。
それでもは目覚めない。
ベットで眠るの髪をそっと梳いてやる。
名残惜しげに手を離し、艶やかな髪に口付けを落とし、必要な物を揃えるために病室を後にした。






後書き