人ゴミに流されるまま、足を進める。
毎日
毎日
この人の波の中の一人として、歩いている俺。
毎日
毎日
何も代わり映えする事の無い日常。
毎日
毎日
時間だけが過ぎて、無意味に終わっていく。
――― Polestar ―――
毎日通勤ラッシュから始まり、帰宅ラッシュに終わる。
駅構内の人ごみの中、不意に流される人にぶつかった。
「あ、スイマセン。」
「いや・・・。」
そう、ただそれだけの会話。
俺の中で、何かが引っ掛った。
すれ違いざま、チラッとしか見ていない彼女。
何処かで逢った事がある?何が引っ掛る?
ああ、そうだ。
あの蒼い瞳か。
人に流されながら、ある考えに行き着いた三蔵は、次の瞬間流れる向きを変えていた。
つい先程ぶつかったばかりだ。そう遠くへは行っていないだろう。
そう思って先を行く人ごみを掻き分けて行くが、目当ての彼女は探し当てられなかった。
「チッ。」
短く舌打ちして、再び流れる向きを変えた。
これ以上探しても見つかるはずも無い。
溢れんばかりの人ごみで、人の波に飲まれながら、一度しか会った事の無い女を捜すのはハッキリ言って難しい。
なら、今は早く家へと帰るのみ。
地下鉄を乗り継いで、ようやく家に帰り着いた俺は、脱いだスーツをハンガーに掛ける時間も惜しいとばかりにケータイを取り出し、一つの番号を押した。
本来、好き好んで自分からはかけない相手。
今頃何処でナニをしているのか。
そんなヤツの都合などお構いナシに、相手が出た瞬間に「来い。」と一言一方的に切り出した。
『だからね…三蔵サマ?一体どうしたわけ?』
「いいから、今すぐ来い。」
『今からイイ事すんだけど?』
「テメェの都合なんざ知るか。いいから今すぐ来い!分かったな。」
悟浄の返事も聞かぬままケータイを切り、ようやく締めていたネクタイを外しワイシャツを肌蹴た。
冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し、食器棚のグラスを一瞥する。
が、思い直してグラスを取らぬままリビングのソファーに戻った。
深々と座って、プルタブを開けて中身を半分ほどまで一気に流し込む。
茹だる様な暑さの中、ビールの冷たさが喉に心地よい冷たさを運んできた。
そしてエアコンのスイッチを入れてから立ち上がり、おもむろにベランダから外に出た。
見上げる夜空には、本来なら光り輝く星々が見えるのだろうが、ここは都会。
中心部から幾分かは離れているとはいえ、やはり街のネオンの光りが邪魔をしているのだろう。
夜空はくすんで、星は見えなかった。
残っていたビールを流し込み、空になった缶をグシャリと握り潰した。
「…何処にいる。」
三蔵の小さな呟きが夜風に乗った。
思う事はただ一つ。
つい先程ぶつかった彼女のこと。
自分に向けられる女たちの色目に嫌気が差しながら、痛む米神に指を当てた。
――今の状況になったのは、遡る事約七時間前。
会社で昼の休憩をしている時だった。
鳴り出したケータイ。
見るまでもなく、それは悟浄からで。
どうせいつもの暇つぶしか?
そう思って出ずに放っておいた。
何度か切れては、またかけてくる悟浄。
最後にはメールが受信を告げた。
「急用だと?」
幾度となくかけてきた事を思えば、納得もするもので。
そう思いかけ直した電話で、悟浄にある料理店に今夜来て欲しいと告げられた。
「めんどくせぇ。」
『んなこと言わずによぉ。三蔵サマ?』
「誰が行くか。」
『まったまた〜。ちゃんとゴジョさんが迎えに行くからさ。』
「テメェ、くだらん事なら殺すぞ。」
その結果がコレだ。
事の張本人は女たちに愛想を振りまいている。
ようは、合コン。
その人数が一人足りなかったらしく、その穴埋めが俺だ。
だが、こうも嫌な思いをしているのは俺だけか?
内心で舌打ちしながら、悟浄を睨みつけた。
女は嫌いだ。
自分勝手で、鬱陶しい。
かまわなければ、放っておかれたと思い直ぐに泣く。
男は女に奢って当然。
何を根拠にそれが言える?
極めつけに仕事とどっちが大切!?なんて泣き出したりもする。
だからウザイ。
そんな存在に誰が好き好んで手をだすんだ。
テメェら、とっとと失せやがれ!
「気分でも悪いんですか?」
耳にすんなりと入ってくる声に、俺は目を上げた。
不機嫌極まりない瞳でその相手を見ると、一瞬ビクッとした後、それでもフワッと微笑む蒼の瞳が真直ぐに俺を受け止めていた。
着飾る女たちの中、そいつだけはシンプルなスーツに身を包み色目を使うこと無く俺を見ていた。
不思議と心が惹かれた。
別段とりたてて、他の男とも話さずにただその場にいるだけの・・・、俺と同じで数合わせか?
最初に一通り自己紹介をしたが、面倒でいちいち覚えていないことを少し後悔した。
だが、今更聞けるはずもなく。
柔らかな彼女の笑みにつられるように口を開いた。
「あぁ。少しな。」
そして他愛もない会話をしながら、この合コンが終わるのを待った。
悟浄がお開きの言葉を口にし、それぞれからお金を受け取り精算しに行っている時に、二次会の話が出た。
必要以上に俺に声をかけてくる女にうんざりしながらも、アイツが行くなら・・・と思い視線を向けた。
が、そこに彼女の姿はなかった。
「・・・おい、ここにいた・・・。」
「あぁ、さっき帰ったわよ。あんな子ほっといて、玄奘さんも二次会行きましょうよ。」
誘いをかけてくる女を払い除け、俺は外へ飛び出した。
まだ近くにいるかもしれねぇ。
そう思い、辺りを探すが何処にも彼女の姿は見つけられなかった。
それからの事はあまり覚えてねぇ。
二次会を断り、気が付けば家に帰っていた。
暫くは彼女の事が気になっていた。
だが、毎日の仕事の忙しさでいつの間にかそれもなくなっていた。
そして今日。
アイツの瞳に再び心を奪われた。
前とは違う頼りなく揺れていた蒼い瞳。
今にも泣きだしそうな、そんな感じだった。
部屋が茹だるような暑さを忘れた時、ようやくインターホンが鳴った。
確認する暇も惜しいと、玄関を直接開ける。
「どうったの、三蔵様。まさか俺の事が恋しかった・・・」
「ふざけてねぇで、とっとと入れ!」
ぴしゃりと言い切り、後ろを気に掛ける事無く奥に戻っていく三蔵の後に、肩を竦めながらも悟浄が従った。
「まったく。で?何の用よ。」
リビングに入るなり用件を切り出した悟浄。
「・・・前にてめぇに無理矢理連れていかれた合コン。覚えてんだろ?」
「あぁ、あん時な。何よ?」
「お前なら全員の連絡先分かんだろ。」
「そりゃワケねぇけど。・・・まさか気になった子がいたのか。」
「まあな、そんなトコだ。一次会が終わって直ぐに帰った蒼い瞳の女の連絡先教えろ。」
三蔵の言葉で、記憶を探る。
そういや、いたな。
でも彼女の連絡先は知らない。
何度聞いても最後まで教えてくれなかった。
かなり芯の強い女だったよな。
「悪いけど、その子のは知らないんだわ。」
「なら聞き出せ。」
「本気かよ。」
紫暗の瞳が容赦なく悟浄を捕らえる。
三蔵が本気だと知った悟浄はケータイで何件か連絡を取った。
「分かったぜ。チャン。ケータイ番号は―――。」
「住所は?」
「それも聞いたけど・・・。まさか三蔵、行くなんて言わないよ・・・な?」
「送れ。今直ぐだ。」
「マジかよ。」
「当たり前だ。行くぞ!」
渋る悟浄の車に乗り込み、目的地へ向かった。
そこは三蔵とぶつかった駅からそう遠く離れていない場所だった。
街灯を頼りにマンションの名前を探す。
一本大通りから逸れた所に探していた名前を見つけた。
マンションというよりも、こじんまりとしているが洒落た二階建のアパートだった。
車が来ていない事を確認した悟浄がアパートの前に車を止めた。
「で、どうするワケ?」
「行くに決まってんだろ。何号室だ。」
「201号だけど、そんなに止めてられないぜ?」
「帰っていいぞ。」
ドアを閉める音と、三蔵の声が重なった。
「ったく、運転手じゃねぇんだけど俺。」
聞こえない相手に愚痴を零しながら、タバコをくわえて車を発進させる。
都会の空に一つ光る星に、悟浄なりの願いをかけて。
ベットに伏せっていたの耳に、来客を告げるインターホンの軽い音が聞こえた。
ベットヘッドに置いてある目覚まし時計に目を向ける。
いつの間にかかなりの時間が経過していた事に少なからず驚きながら、まだ鳴らし続けている相手に首を傾げた。
もうすぐ九時になろうという時間に尋ねてくる相手はいない。
約束もしてない。
検討がつかない相手に、出るのを躊躇っていた。
今は誰にも会いたくない。
部屋の明かりはベット脇のスタンドの小さな光のみ。
カーテンも引いているから、外から明かりは見えないだろう。
居留守を決め込もうと、再びベットに顔を伏せた時、テーブルに置いてあるケータイが軽やかな着信メロディーを奏でた。
何度か鳴っては切れ、また鳴りだす。
そんなに急用なのだろうか。
仕事で何か失敗でもしてたのかも知れない。
一つ大きく息を呑み込んで、通話ボタンを押した。
『。いるんだろおが。さっさと開けろ。』
「え・・・。誰?」
聞き覚えのない声に戸惑っていると、今度は玄関のドアを叩く音が大きく響いた。
さすがに夜なので、放っておくとご近所迷惑になってしまう。
誰だか分からない相手に足が竦む。
それを追い立てるように耳元で低い声がやっと名前を告げた。
でもその名前にピンとこない。
「・・・あの?玄奘さん、人違いなさってません?」
『俺が会いたいのは、おまえなんだよ。まだ思い出せねえのか?悟浄の合コンに来てただろおが!』
合コンという言葉に薄れていた記憶の糸を辿る。
ゆるゆると立ち上がり、玄関の電気と外灯を点けた。
早くしろ、と急き立てられるまま、そっとドアの覗き窓から外を伺う。
目に飛び込んできたのは神々しいばかりの金糸の髪。
「あ!」
『思い出すのが遅いんだよ。とっとと開けろ。』
急いで鍵を開けると、それを待っていたように外からドアが開けられる。
心の準備もままならないままは三蔵と向き合っていた。
金属音が静かな空間に響く。
それは、後ろ手に三蔵が鍵を閉めた音だった。
「あ・・・の、玄奘さん。」
「三蔵だ。」
「さ、三蔵さん。何の御用でしょう。」
「御用・・・か。そうだな、お前を貰いに来た。」
あまりに唐突の言葉に、が目を見開く。
何を言われたのか理解出来なかった。
目の前にいるのは、容姿も整っていて申し分ない男だ。
そんな彼が・・・・・・。
からかわれてるとしか考えられない。
からかわれるのも、無理やりなのも、もう・・・イヤ。
今日の事が脳裏を駆け巡る。
仕事が終わった後、上司に呼び出されて無理やり関係を迫られた。
それを振り切るように逃げ帰ってきた。
あんな思いはもうご免だ。
苦しさに押しつぶされるのを耐えて、なんとか声を絞り出した。
「からかうのもいい加減にして下さい。」
「からかっちゃいねぇ。俺が本気になったのはこれが初めてだ。信じようが信じまいがそれはお前の勝手だがな。」
少し自嘲気味に口元を歪める三蔵を、ただ黙って見上げた。
三蔵もそれ以上何も言わずに見つめ返す。
その視線の先で、蒼い瞳が涙を溜めた。
「・・・何があった。」
「・・・」
「今日、何があったんだ。」
低いが優しい声。
そんな三蔵の見えない優しさに、はそれまで耐えていた物が堰を切ったように溢れ出した。
涙が一滴床に落ちる。
それを切欠に、は静かに喋り出した。
黙って聞いていた三蔵はが喋り終えると、震えて泣いている肩を抱きしめた。
よりによってセクハラか。
腹立たしい相手を呪いながら、三蔵は涙に濡れるの頬を指で軽く拭った。
「もう泣くな。」
もう・・・泣くな。
俺が見つけた
この真っ暗な都会で
ただ一つ
闇を照らす一筋の光り
何処にいても
ただ一つ
光りの印
この光りを曇らせることは誰であろうと許さない
俺を照らしだしてくれる
たった一つの輝き
「お前を貰う。」
「・・・本気ですか?」
「ああ。俺は冗談は言わない。それとも、イヤか。」
「イヤじゃ・・・ない。」
「ならいいじゃねえか。」
頬に当てていた指で、そっと顎を持ち上げる。
艶やかな紅い唇にゆっくりと口付けを落とした。
この輝きをいつまでも俺の為に――
――polestar――
それは永遠の輝き
星空の道標
後書き