「今までに。」
「これからに。」
『乾杯。』
Grazie tante
チィンとグラスの音が涼しげに響いた。
キールロワイヤルとシャンパンカクテルの紅白がグラス越しに混ざり、ピンクにも見える。
それよりも柔らかな色をしたオールドローズ色のワンピースを着た恋人は、真紅の液体を、ほんのり色付いた唇に流した。
「美味しい!」
「そうだな。」
途端ふわりと口元に浮かんだ笑み。
こちらも口内から喉に流れる心地よい刺激に眼を細めた。
今日は、二人の関係に『恋人』という名がつけられてからちょうど二年の特別な日。
最初はどこか外泊でも行こうかと言っていたが、二人して仕事が前後に入ってしまい、食事だけでも、というわけだ。
ここに移り住んで初めて食事をしたトラットリアは地元で評判が良く、何かと使わせてもらっているので店主とも親しい。
リストランテでドレスアップして食事をするよりも、楽しく話せるこちらの方がいいと二人の意見が一致したので、
店主に頼んで特別メニューを作ってもらったのだ。
快く承知してくれた店主の心遣いで、店の一番奥まった席へ座ることができたので、周りに気兼ねせずにいられる。
まぁ周囲の人々の話や笑い声を聞きながら食べるのも楽しいのだが。
「君の瞳に乾杯―――だったか?」
「え?」
「シャンパンカクテルと言ったらこの台詞だろう?」
「やぁだ、焔が言うとキザすぎて詐欺師みたい!」
「・・・結構落ち込むぞ、それは。」
額に手を当てて首を落とした。
それを見てくすくす笑う の表情がいつもより明るく見えるのは気のせいだろうか。
いや、気のせいではないだろうと、ふっと口角を上げた。
旬の野菜に琥珀色のコンソメジュレをかけたアミューズ。
アンティパストは炙りホタテのカルパッチォ。
ハーブがたっぷり入ったトマトソースと新鮮なエビを使ったリゾット。
セコンドは牛フィレ肉とフォアグラにビネガーソースをかけた贅沢なもの。
色々な料理を味わえるように、一皿を少なめにと頼んでおいたのが良かった。
美味い料理は会話も弾ませる。
カクテルやウイスキーを舐めながら、思い出話や最近の出来事に話を咲かせた。
そして締めくくりのドルチェはブルーベリーソースをかけたマスカルポーネのムース。
マスカルポーネのコクとブルーベリーの酸味が調和して、さっぱりとした後味だ。
エスプレッソを口に運びながら、 の笑顔がムースと同様に溶けていくのを、満足しながら見ていた。
『今日の料理はどうだったかい?』
人の良い笑みを浮かべながらこちらへ向かってきたのは、縦にも横にも大きな身体に、立派な髭を蓄えた、
イタリア人特有の底抜けの明るさを称える瞳の、この店の店主だった。
『とっても美味しかったわ!』
満面の笑みで言う に、店主は『喜んでもらえちゃよかった。』と白い歯を見せた。
『アンタたち二人には世話になってるからね。最高の食材を用意させてもらったよ。』
『食材はもちろんだが、貴方の腕がいいからですよ。』
そう言うと、『嬉しいじゃないか!』と、バンッと背中を叩かれた。
『これはな、俺からのプレゼントだ。』
思い切り叩かれて咽る自分を尻目に、店主はテーブルに白い箱を置いた。
首を傾げる に開けるよう促す。
開けた瞬間、中身を見た彼女の瞳がキラキラと効果音をつけたくなるほどに輝いた。
「素敵・・・!」
「・・・凄いな。」
思わず自国の言葉で言ってしまったのだが、自分たちの反応に店主は満足したように頷いた。
出てきたのは、直径10cmほどのタルト。
中にはラズベリーが敷き詰められ、宝石のように輝いている。
そして中央には、真っ白な薔薇の飴細工。
ここで驚いたのは、その薔薇が飴で形作ったものではなく、本物の薔薇の花びらに飴がけしたものだということ。
花弁一枚一枚を取りシロップに漬け飴をかけて、また元の薔薇の形に仕上げたのだ。
『どうだい、喜んでもらえたかな?』
『ええもちろん!本当に素敵だわ、こんなの初めて。』
『食べるのがもったいないくらいだな。』
『そりゃあよかった!』
持ち帰れるようにとケーキを紙袋に入れてくれた店主は、何かを思い出したようにカウンターへ行き、戻ってきた。
『そうだこれを忘れるところだった。』
そう言って渡されたのは、妙に膨らんだ封筒。
『シエンに渡してくれって頼まれたんだ。』
『紫鴛から?』
仕事があるからと調理場に戻る店主に礼を言って、その白い封筒に目を移した。
開けてみると、出てきたのは番号のついた鍵。
更に、手紙らしき紙を出して広げた。
彼らしいシンプルな便箋には、几帳面な字が並べられていた。
“二年目ということで、是音と私からささやかですがプレゼントです。
明日の仕事は私達だけでも片付けられますから、一晩くらい二人でゆっくりしてきなさい。“
その短い文面にふっと笑うと、 が身を乗り出してくる。
手紙を渡すと、それに目を通した彼女は嬉しそうに笑った。
文の下にあるメモは、この鍵を所有するホテルの住所と電話番号。
だが住所などなくても、ホテル名を見れば一目瞭然だった。
ヴェローナの街中でも人気が高く評判の良いホテル。
が一度行きたいと言っていたのを思い出した。
「ねぇ、焔。」
「ああ、お言葉に甘えてゆっくりするとしよう。」
やった!と手を合わせる に微笑んで、会計を済ませる為に立ち上がった。
店主にもう一度礼を言って店を出ると、夜の石畳の道沿いは活気に溢れていた。
街灯が灯り、テラスでビールやワインを飲み交わす人々の笑い声が賑やかに響く。
その中に見知った顔を見つけては声をかけられ、デートだ何だともてはやされる。
の肩を抱いて二年目だからと言うと、更に声を上げて自分たちの為に乾杯をしてくれる。
自国ではありえない陽気さは、一年以上経てば馴染んでくるものだ。
からかわれて頬を染める に笑いながら、口笛を吹く彼らに手を振ってその場を離れた。
毎日がお祭り騒ぎの界隈を抜けて、アールヌーヴォー調の外観を持つホテルへ到着する。
様々な絵画が掛けられたロビーを抜け、赤絨毯が敷かれた大理石の廊下を歩き、指定の部屋へ。
「わ、ぁ・・・素敵な部屋・・・!」
ドアを開けると、 が声を上げるのも無理はない、何処かの城の一室のような部屋が現れた。
広い部屋は白い壁に囲まれ、テーブルやチェストなどの調度品はさりげなくアンティークで統一されている。
寝室は柔らかな光が灯り、落ち着いたバイオレットカラーのダブルベッドにはチュールの天蓋。
クラシックとモダンが調和した、いかにも女性が好みそうな内装だ。
ふとテーブルを見ると、ワインのハーフボトルとグラスが二脚置いてある。
手に取ると、この地域で作られた銘柄の中でも貴重なものだった。
「・・・至れり尽くせり、だな。」
後で紫鴛たちに相当な礼を返さなくてはと苦笑した。
「綺麗な色・・・」
シャワーを浴びバスローブに着替えて、早速ワインを開けた。
グラスに注ぐと、澄んだ濃いルビー色が波打つ。
「それじゃ、もう一度。」
「ああ。」
『乾杯。』
口に含んだ瞬間広がる香り。
木いちごやブラックベリーの甘い香りがオーク樽の香りと調和し、芳醇さを伝えた。
長く続く余韻に眼を細める。
「・・・美味しい。ふふ、紫鴛と是音様々だわ。」
「一晩で大分借りができたな。」
「後で二人の好きなもの買っていってあげようね?」
「ああ。」
チーズの盛り合わせをつまみながら談笑し、グラスが空になったところでふと会話が途切れた。
少しの沈黙の間、気持ち良さげに目を閉じていた は目を開くと、柔らかな笑みを浮かべた。
「ねぇ、焔。」
「何だ?」
「私・・・幸せ。」
突然そう言われて何と返せばいいか、一瞬言葉に詰まった。
「・・・どうした、急に。」
「ううん、なんだか今ね、そう思ったの。私って幸せ者だなって。」
だってね、と前置きした は、髪を指で弄りながら答えた。
「小さい頃からの夢が叶って、こうして外国で仕事ができて、認めてくれる人も増えてきた。
仲間もたくさんできて、毎日すごく充実して・・・何より、焔に逢えたことが一番の幸せ。」
「 ・・・」
「貴方に出逢えて、今こうして一緒にいられることが、すごく幸せだなって、思ったの。」
ワインのせいではないだろう、頬をほんのり紅く上気させる彼女が愛しい。
白い手を取って導き自分の膝に座らせ、細い腰を抱き寄せた。
コメカミ辺りに一つキスを落とすと、照れたように首筋に顔を埋めてくる。
まだ乾ききらない髪を撫でると、ふわりと甘い匂いが立ち上った。
「・・・俺も、お前がこうして腕の中にいることが、一番の幸せだ。」
お前と出逢わなければ、自分はどうしていただろう。
そんなことを考えることさえ恐い。
今こうしていられることは偶然ではなく、必然なのだと、信じている。
そうして抱き合ったまま、相手の息遣いだけを感じる時間。
時計の針が時を刻む音だけの静かな空間が、ひどく心地良かった。
「・・・ 。」
「ん・・・なぁに?」
しばらくして名を呼ぶと、甘えた声が耳を撫でた。
猫のように頬を摺り寄せてくる仕草がくすぐったい。
「今度・・・」
「うん。」
「近いうちに、お前の両親のところへ行こうか。」
「え・・・」
顔をもたげ、目を丸くしてこちらを見てくる。
「手紙や電話ではやりとりしたが、直接会ってないだろう?」
「そ、うだけど・・・いいの?」
「いいも何も、いつかは挨拶に行かなくては・・・お前の姓を両親に無断で変えていいのか?」
そう言うと、慌ててふるふると首を横に振る。
「・・・それに、俺にとっても初めて両親ができることになるからな。」
ぽつりと言った一言に、 は一瞬眉尻を下げた。
自分が生まれてすぐ姿を消したという両親を、恨む気は無い。
むしろその話で哀しそうに目を伏せるのは彼女のほうで。
それを告げたとき、彼女の両親は「本当の親だと思ってくれ。」と言ってくれた。
その優しさに応えたい。
「・・・うん。」
片手で頬に触れると、小さく頷いた。
微笑んでみせれば、安心したように、嬉しそうに笑顔を返してくる。
頬に置いた手の上に一回り小さな手が重なり、伝わる温もり。
そっと閉じた瞳に誘われるように、撫子色の唇に口づけた。
「・・・ぁ、」
ワインの余韻より長く繋がっていた唇を離す。
遅効性の毒のような酔いが回るのはアルコールのせいだけじゃない。
潤んだ瞳を恥ずかしげに逸らした彼女の顔に、戯れるように何度もキスをすると、くすぐったそうに首を竦めて笑った。
「 。」
「ん・・・?」
「ありがとう。」
「え・・・な、に?」
きょとん、と目を瞬かせた に小さく笑ってみせる。
言葉の真意は解らなくていい。
口をついて出たのがその言葉だったというだけ。
君が俺を見つけてくれた。
側に寄り添ってくれた。
優しく微笑んでくれた。
『大好き』とキスして。
『愛してる』と抱き締めてくれた。
ずっと一緒だと、誓ってくれた。
この愛しい感情を表したら、その一言だったというだけ。
「ありがとう。」
再度抱きしめながら言うと、 は頷いて。
「ありがとう・・・焔・・・」
柔らかな声で、微笑みながらそう言った。
刻々と色を変えていく季節。
昔はそれが恐かった。
春も夏も秋も冬も色を変えていくのに、モノクロにしか見えない自分がいた。
けれど今は、風にさえ色を感じられる。
春に萌黄を。
夏に碧を。
秋に茜を。
冬に純白を。
君といれば、全てのものが鮮やかに美しく広がるから。
二人出逢えたことに。
過ごしてきた日々に。
君という光に。
数え切れないほどの感謝の言葉を。
「ありがとう。」
そしてこれから訪れる日々に、どうか最大の幸福を―――――
【Fin】
皆様のお蔭で二周年を迎えることができました。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
世界中がこの感謝の言葉で埋め尽くされる日が来ますように。
Grazie tante !!
配布期間06'8.25〜9.25 お持ち帰りして頂ける場合は一言頂けるとありがたいです。
という事で、持ち帰らせて頂きましたvvv
とても素敵な夢でvvv焔の愛の深さを実感しました。
「Melted Moon」の桜羅様、二周年おめでとう御座います。
これからも、ますますのご活躍を!!!
応援いたしております。