手を伸ばしても届かない。
それはまるで、太陽の光のようで。
地上にいる者を明るく照らしている様が彼女に重なる度に、胸に穏やかさと僅かな切なさを残して消えていく。





















漆黒の闇と同じ色をした自分の髪を見て、随分と前は溜め息を吐いた事もあった。
唯でさえ瞳の色が人と違うというのに、他人と比べて異質の存在であることに拍車を掛ける様に、どこまでも真っ黒な髪色。
燦々と輝く太陽の下を歩いても、紫外線に痛められて、変色することも一向にない。
何かから逃げ、そしてそれが何かも分からぬまま生きてきた自分と違って、この色のなんと強いこと。
何ものにも染められず、己を主張し続けている色彩が羨ましくて仕方が無かった。
けれども、それは既に過去のこと。
自分と同じく闇色をした髪を持つ彼女と出会ってからというもの、この色が誇らしく思えるようになったから不思議だ。
左右で色の違う瞳で時計を見遣れば、時刻はそろそろ十九時を回ろうというところだった。
様々な方面に情報網を張り巡らせている遠い親戚から少し前に、今夜仕事場の近くで夏祭りがあるということを聞いていた。
夏も盛りのこの時期に、仕事だけで終わるのは味気ないと感じていた矢先に
その情報を手に入れたということもあって、彼が行く、と決断するまで大した時間は掛からなかった。
有難い事に、日頃から彼は仕事には事欠かない身であるが故に、自由な時間を取る事は、そう容易ではないのだが
普段の行いが良いからか、今から向かえばどうやら少しだけでも祭りの雰囲気を味わえそうだということが分かると
彼は仕事仲間に別れを告げながら、足早に外へ向かう。
建物から一歩出てすぐに、心地良い風が彼の黒髪を撫でる。
今夜の気温は夏にしては涼しく、快適な温度だ。
耳を澄ませば微かに聞こえてくる祭囃子の音に胸を高鳴らせ、彼の足は其方へと向いた。
目的地が近くなればなるほど、人の数は多くなる。
人で作られた波をするするとすり抜けて、出店のあるところまでやって来た時だ。


「……焔?」


聞き覚えのある声に、ゆっくりと振り向く。
そこにいたのは漆黒の髪の艶やかさと、意志の強さを秘めた瞳が印象的なだった。
彼女を映し込んだ直後、あれほどまでに賑やかに聞こえていた音が、耳に入らなくなった。
聴覚も視覚も、感覚の全ては彼女へと向けられる。
季節が季節だという事もあって、流石にコートは着ていないが
相変わらず黒い帽子を深く被った全身黒ずくめの彼を見て、彼女は驚いたように目を見開いた。
数秒の間、その場に立ち尽くしていた彼女だったが、一瞬はっとした顔をした後に、やや怒った顔で焔へと歩み寄った。


「やっぱり!……もう、またこんな人の多い所に来て!バレたら如何するのよ」
「大丈夫だ。こんな真っ黒な格好をした男に話しかけるのは、くらいなものだ」


現に、つい今し方仕事を終わらせてきた仕事場から此処に来るまでの間で
不審そうな視線付きでわざとらしく道を開けられることはあったが、の様に話しかけてきた人物など一人もいやしない。
それでも至極真面目な顔をしてくるが可愛くて、面白くて、思わず焔の頬は緩みそうになる。


「怪しげな男に易々と近付くほど、警戒心が無い人間もいないだろうからな」
「いや、まぁ。それは、そうかも知れないけど……でも、万が一ってことがあるでしょ?」


焔の口の上手さに、は刹那、考え込むように俯いたが、次の瞬間には心配そうな顔つきで彼の顔を覗き込んだ。


「それにほら、今日はサングラスもしてないみたいだし。その目を見れば、分かる人は分かっちゃうわよ」


無遠慮に手を伸ばし、焔の前髪を掻き分けると、はオッド・アイに自身を映し込む。
同時に、の瞳には焔が映った。
彼女の瞳に自分が映っていることに、何となく恥ずかしさを感じつつも
自分を心配してくれる彼女の優しさを、白くあたたかな温もりを持った掌から感じながら、焔は淡く笑う。


「それより、今日は一人か?」
「……いいえ、今日は仕事仲間と一緒よ。後輩が来たいって言うから、もう一人の奴と保護者代わりに付いて来たの」
「それは珍しい。……よく皆が了承したな」
「急に決まったの、って電話口で押し切ったのよ」
「成る程。大した実力だ」


姉であるを、誰よりも大事だと言って憚らないほど嫉妬深い彼女の弟たちが
今頃は家で、全員揃って機嫌を損ねているだろう光景がありありと見えた焔は、尊敬を込めた感嘆の息をへと贈る。
わざとらしく話を逸らされたことに、多少の不満を残しつつも、問われた事柄に偽り無く答えた
触れたままだった前髪をくしゃりと掴んでから、ようやく手を放す。
言葉で文句を言う代わりなのか、思いのほか強く掴まれた髪には、握られた跡が残っていた。


「でも、焔がいるって分かった以上、アンタを一人で野放しにするわけにはいかないわね」
「その言い草だと、まるで俺が怪獣みたいだな」
「何言ってるのよ。騒ぎを起こす達人なんて、怪獣よりよっぽど性質が悪いわ」
「そんなことをに言われるとは思わなかったな」
「自覚が無いなら、覚えておいたほうが損はないと思うけど?」
「ならばは自覚している訳か。結構なことだ」


繰り返される嫌味の応酬。
互いに口許に弧を描いている割に、目元が笑っていないのが余計に恐怖心を煽る。
しかしそれは当人たちへの効き目は無く、それを傍で眺めざるを得なかった通行人たち限定に対しての効果であったが。


「むー。可愛げないなー」
「男に可愛げがあったところで、気持ち悪いだけだろう?」


棘を含んだ言葉の数々にもめげることなく、寧ろ言い返してくる焔へは唇を尖らせる。
妙齢の女性には似つかわしくないその仕草が、顔立ちが幼く、おまけに身長も低い彼女には、よく似合う。
童顔と低身長がコンプレックスな彼女には悪いが、遠くから見ても、すぐ傍で見ても
そういった仕草をする度に、彼女自身の可愛らしさは失われるどころか、逆に増すばかりなのだが
を怒らせたら後々面倒だと、四人もいる彼女の弟の内の一人である三蔵からよく聞かされているために
此処で「そんなが愛らしい。」などと口にしたら、一気に彼女の機嫌を損ねる原因になるだろうと判断し
口は災いの元だとばかりに、焔はその一言を必死に飲み込んだ。
代わりに、口の端に苦笑いを湛える。
すると、彼女はふわりと羽の様な軽やかな笑みを零した。


「あら?そうでもないわ。少なくとも、は好きよ」


少しだけ小首を傾げて笑うを見て、焔は心なしか体温が上がった気がした。
無意識の彼女の一挙一動には、男女を問わず一瞬にして彼らの心を奪ってしまうくらい、人を惹きつける魅力がある。
そうやって、今までに何人もの人を知らず知らずのうちに魅了してきたのか。
知り合ってから、まだ日の浅い焔には見当も付かない。
だが、の周囲にいる人々に弟たちが厳しく眼を光らせる理由の一つとして
彼女の無自覚さが挙げられる気がするのは、恐らく当たっている筈だ。
焔とて、辺りを素早く見回し、他の人が今のの微笑に気付いていないかを、自分でも意識せずに確認したのだから。
誰も見ていなかったと結論付けると、が訝しがる前に、彼は何事も無かったかのように口角を意地悪く上げた。



「そうか。なら三蔵には可愛げがある、ということだな」
「なっ……!焔!」
「では俺もに好かれるように、此処は可愛らしく、素直にしかも大人しく従っておくことにしよう」


反論をさせる暇も与えずに、焔は早口に言葉を紡いだ。
途端に顔だけでなく耳にまで朱を走らせるへ、にこやかに笑えば、悔しそうな瞳と視線がぶつかった。


「信じらんない、焔の意地悪。―――皆がいたら、絶対そんなこと言わせないのに……」
「五対一か。……それは恐ろしい」


確かに、この状況下で口達者な敵が四人も増えたら、かなり分が悪い。
されどこの時ばかりは、彼女の絶対的な味方である弟たちはいない。
からかうように笑う焔を夜空の如き瞳できつく睨んだ後は、気恥ずかしさからか、はふいと顔を逸らした。
赤く染まった頬を隠すようにそっぽを向いたから、ぽつりと言葉が紡がれる。


「……、今、顔赤い?」
「あぁ、恐らくは」
「もう、焔の馬鹿。このままじゃ歩けないじゃない」


言ってから、の頬は益々赤くなった。
そんな風に反応するという事は、彼女が己の気持ちを解放してきたという事だ。
長年、姉弟として接してきたはずの関係に終止符を打ち、これからは三蔵を一人の愛しい男として見ようとしているのだろう。
淡い思いを奥底へ押し込んで隠し通すより、いっそのこと曝け出してしまえと彼女に助言をしたのは、焔自身だ。
あの時はそれが一番良いと思っていたし、無論、今でもその気持ちに偽りは無い。
けれど、それが如何してこんなにも苦しいのか。
己にとっての光の様な存在であるが、先刻よりも眩しく感じる所為なのか。
彼女が幸せになってくれれば良いと思いながらも、初めて見る初々しい反応に、狂わされる。


「だったら……」


言いかけた言葉は、一呼吸置いた後に吐き出した息と共に大気へと戻した。
これは、自分が望んだ結末だ。
順調に彼女が幸せに近付いているのであれば、充分だと自分に言い聞かせる。


「だったら、火照りが冷めるまで下を向いていると良い」


本当は、抱きすくめてしまいたかった。
華奢な身体を包み込んで、他の誰からも見えないように、彼女を隠してしまいたい衝動に駆られた。
それは、彼女が自分を家族の一員にしてくれた大事な人だからか。
それとも、彼女によく似た初恋の人への想いを断ち切れずにいるからなのか。
或いは、過去など関係なく彼女自身を―――。
馬鹿馬鹿しいと自嘲気味に唇を歪めると、焔はを近くにあったベンチに誘導し、並んで腰を下ろした。


「……有難う」


小さな声で、そう告げてくるに「いや。」と一言だけを返した後は、二人の間に沈黙が流れた。
ちらりと隣を伺えば、彼女は未だ赤い顔をしていた。
きっと、今のには三蔵のことしか頭に無いだろう。
こんなにも近くにいるくせに、手を伸ばすことすら躊躇った挙句、手を引っ込めた男とは似て異なる、あの三蔵を想っているのだ。
彼女が自分ではない男を想っていると分かっても、それでも居心地の悪さは感じない。
ほんのりと色付いた頬を間近で見ているだけで、何故か心は落ち着く。
今はただ、波紋のようにざわめいているであろう彼女の心を静めてやりたくて、焔は話題を振るため、口を開いた。


「……先刻、如何して俺だと分かったンだ?頭から爪先まで、黒で固めてたからか?」
「んー、それも多少あるけど。でも『あ、焔だ』って確信したのは、近寄ったときの雰囲気……かな。あと、直感」


今度は顔ごとに向ければ、しっかりと彼女の双眸と目が合った。
瞳だけで話を続きを促せば、彼女は微かに笑みを浮かべて口を開いた。


「焔って、独特の雰囲気があるのよ。何ていうか……“神秘的”っていう感覚に近い感じが」
「俺が……?」
「うん、そう。焔の姿を見つけるとね、の第六感が『焔がいる』って教えてくれるのよ。で、最終的に雰囲気で見極める」
「それはまた、随分とアバウトな」
「でも不思議と当たるのよね、これが。……ねぇ、如何してそんなこと聞くの?」


不思議そうに見つめてくる瞳から眼を離すことが出来ず、焔はじっと黒の瞳を見返した。
いつだってひたむきな姿勢を崩さない彼女は眩しくて、自分とは正反対だと
まるで忍のように闇の中で生き、闇に包まれている自分とは相容れぬものだと感じていた。
それが如何だろう。
会えば会うほど、彼女を知りたいと言う気持ちが沸き起こり
話せば話すほど、彼女の聡明さに驚かされる己がいる。
更には、彼女の明るさに触れる度に、心にじんわり染み入るものがあるのだ。


「この間会ったときも、は俺を見つけたからな。……だから少し気になっただけだ。気にするな」


嗚呼この身はただ、焦がれていたのか。
強く美しい光の様な彼女に。


「……分かった」


何も聞かず、黙って引いてくれる、その思いやりが嬉しい。
口端に笑みを湛えながら、すっかりの頬の色が元の白に戻ったのを横目で確認すると、焔は徐に立ち上がった。


「これ以上、と共に居るのがバレたら、怖い弟たちに酷い目に合わされそうだからな。今夜は此処でお別れだ」
「え?でも……」
「心配しなくともこのまま真っ直ぐ帰る。充分に祭りの雰囲気も味わえたしな。……なんならタクシーに乗り込むところまで見張るか?」
「……止めておく。焔のこと信じてるもの、見張る必要なんかないわ」


また、そうやって。
微笑みながら紡がれた言葉が、どんなに人の心を乱しているのかも知らずに、そんなことを簡単に言うのだから始末に負えない。


「その鈍感さと天然さは、いっそ犯罪級だな」


小声で音にした言葉は、風が攫っていった。
がこんなだから三蔵も苦労するのだろう。」と、心に浮かんだことは、この先も彼女には内緒だ。
今なんて言ったの?という問い掛けは聞こえなかった振りをして、焔は別れの挨拶を一言残すと背を向けた。
徐々にから遠ざかるにつれ、人のざわめきと祭りにぴったりな音楽は、再び焔の耳朶を撫で始めた。
大通りに出て、気持ち良い風に髪を遊ばせながら、タクシーを待つ。
その間も考えてしまうのは、矢張りのこと。
次はいつ会えるのだろうか。
会おうという約束など、これまでも一度もしたこともない。
それなのに、いつの間にか彼女との時間は増えていく。
あの時彼女へ向けた一言は、いつか、また。
彼女が自分を見つけてくれる、その日までの。


「それじゃあ、またな」


それはきっと、ほんの暫くの別れ。















管理人がよく遊びに行かせて頂いている、素敵サイト様の「snow bound」のみあ様より頂いた夢です。
相互記念で、みあ様のサイトで掲載されている輪舞曲設定(焔はモデルさんv)での焔兄さん夢です。
三蔵たちはヒロインの弟という設定です。
輪舞曲!とても素敵なお話ですので、是非皆さんも読んでみてくださいねvvv
蒼稜お気に入りの夢です。

>焔兄さんについては本編を書いている時でも、どんな位置付けにしようか、日々試行錯誤している状態で
当然のように今回も迷いに迷った挙句、色々設定を変えて何度か書いては没になる中で
ようやく最後まで書き終えたのが、このお話でした。
うむむ。焔兄さんって、かなり難しい……!
これを機に、輪舞曲設定でだけでも焔兄さん夢が少しでも増えるようなことになれば良いのですが……頑張ろう。

お忙しいのに、ご無理を言いまして、申し訳御座いませんでした。(ペコ)
みあ様、本当に有難う御座いました。