いつもならどんなに忙しくても三日に一度はやってきていたが、
もう、一週間も顔を出していない。





















八戒がマスターを勤める喫茶店には名前がない。
もしかしたらあるのかもしれないが、店先に看板も出されておらず、知る術はない。
おかげで通りすがりにこの店を訪れる人はめったにいない。

だからこそ、常連客の間でこの喫茶店は「八戒さんのところ」で通じるのである。





そして、常連客ゆえにお互いが顔見知りになる。



「八戒さん、淋しいんだろう。最近ちゃん来てないもんなぁ。」


などと話しかけてくる客がいるのがそのよい例だ。












一週間と、二日。

客が最も少なくなる午後二時頃に、はやってきた。









カランカラン・・・


「・・・!さん!いらっしゃいま・・・せ・・・?」



嬉しそうに振り返った八戒の溢れるような笑顔を尻目に、は指定席であるカウンター席を素通りし、
窓側の一番はじの席に座り、荒々しく腰を下ろすと、がばっとテーブルにつっぷした。
嬉しそうにカウンター席に座って、八戒の顔を見つめながらお気に入りのコーヒーを注文する、
いつものは、そこにはいなかった。



そのまま、動かない。



八戒は声を掛けたい衝動を抑え込み、の様子を見守った。






しばらくして、の肩が小刻みに震え始めた。
泣いているようだった。





八戒は今すぐにでもの肩を抱き、抱きしめてあげられたら、と思いながらも
の姿は人を拒絶しているようにも見えたので、あえて、現状では動かないように努めた。






そしてまた、しばらくして、はズ、と鼻をすすりあげ、ぐず、と涙をぬぐうと、
ぼんやりと窓の外に視線を送っていた。





八戒は、の視線は誰かを待っているのかと思っていたが、どうやら違うようだった。
そして、見ているうちに気付いたのである。


の視線の先は、喫茶店の向かいの、住宅地として密集している家々の間から見える国道であり、
時たま視線が緊張し、真剣な表情で固まるとき、そこを大型トラックが通過しているのである。


「・・・あまり、いい予感がしませんねぇ・・・。」


八戒は意を決したようにカウンターを出ると、のいる席へと向かった。













「・・・さん、お久しぶりです。」

のうつろな目線が八戒のほうへ向けられる。そしてはどうみてもお愛想程度の笑顔を浮かべた。

「ご無沙汰してました。やっぱり、八戒さんのところはいいですね。」

八戒は悲しそうな笑顔で応える。

「・・・ありがとうございます。」

はその笑顔をひきずるように、だんだん表情を悲しそうに変化させながらうつむいた。



「私、落ち着きたくて八戒さんのところに来たの・・・。だから今、放っておいて欲しいんです・・・すごく。」



悲しそうに、しかし語気は強めて、はそう言った。



「えぇ・・・いえ、構いませんよ、どうか、その、ゆっくりしていって、下さいね。」



の拒絶的な言葉に、八戒は多少動揺しつつも、どうにか笑顔を浮かべるよう努め、席を離れた。
そして八戒がカウンターの中に戻ると同時に、の視線はまた、窓の外へ向けられていた。












店内に、コーヒーのいい香りが漂い始めた。




それでも、の視線は動かない。




八戒は、自嘲する。


---僕は自分のコーヒーを過信していたのでしょうかね。



それでも、に視線を向け、彼女の悲しそうな表情を見て、自分を叱咤した。







さん、どうぞ。」




カタリと置かれたコーヒー。



「・・・なん・・・ですか?」


が少し驚いたように八戒を見上げた。





「僕の、オリジナルブレンドです。」





座っても?と八戒がの向かいの席を示すと、は困惑したような表情を浮かべながらも
ぎこちない笑顔で頷いた。八戒は有難う御座います、と言って腰を下ろした。




「どうぞ、召し上がってください。」



八戒がにコーヒーを勧めた。



「この店の最高級品ですよ。」




その言葉に、おずおず出しかけていたの手が止まる。



「私・・・お金持ち合わせてないですし・・・」


がうつむいてそう言っても、八戒はもう一度、飲んでください、とにコーヒーを飲むよう促す。
そして、





「お代は、ぜひさんの笑顔でいただきたいのですが。」






そう言って微笑んだ。






「・・・え?」






驚いたように八戒の顔を見たに、八戒はもう一度、そのの視線を喜ぶように微笑む。










さんの笑顔は逸品ですからねぇ。」










しみじみと言われた八戒のセリフに、は頬を染めながら、目に涙をにじませ、コーヒーに口を付けた。





こくりとコーヒーを口に含んだの瞳から、涙がこぼれた。





「ご・・・ごめんなさ・・・」



の謝罪の言葉に、八戒は微笑を浮かべたまま、黙って首をふった。
そして、コーヒーカップから離れたの手をとり、両手で包むように握ると、すぐ戻ってきます、と囁いた。



八戒が向かったのは、喫茶店の入り口。
そして、[OPEN]の札を裏返した。





[CLOSED]







八戒さんのところ、が、のための空間へと変わった。











八戒がの向かいの席に戻ってくる。







さん、僕が一週間以上貴女にお会いすることが出来なかったのは、
 さんがこの店に来てくださるようになってから初めてですよね。」


懐かしい話でもするかのように話しながら、八戒は腰を下ろす。


「たくさんのお客さんにさんのことを尋ねられましたよ。」


が八戒の顔を見る。


「皆さん大変心配してらっしゃいましたよ。」


はどことなく感じる気恥ずかしさを隠すかのようにコーヒーを口に運ぶ。






「僕も、たくさんの方に心配されてしまいました。」






は、きょとんとするように八戒に視線を向けると、八戒の体調を探るかのように視線を動かした。
八戒は困ったような笑顔を浮かべながら、続ける。






「皆さん『ちゃんがいないと、八戒さんが八戒さんじゃないみたいだね』なんて言うんですから。
 困ってしまいますよねぇ・・・。皆さんに本当のことなんて言えないじゃないですか・・・。」







八戒は一度言葉を区切り、と視線を合わせた。









「僕、お店にいるときは、いつもさんを待っているんですよ、だなんて・・・ねぇ。」







の目が見開かれる。









さんがいないと、だめなんですよ。」









情けないですね、と八戒が自嘲する。




「しかも、皆さんにバレバレだなんて・・・どんな顔したらいいのかわかりませんでした。」







普段はどちらかといえばのほうがよく喋り、八戒が応じるという形が多かったのだが、
今日はのことを想うがゆえに、八戒が話し続けていた。













「私・・・」












ぼろ、との瞳から大粒の涙がこぼれた。








「もう・・・どうしようも・・・なんにもわからなくて・・・どうしようもなくて・・・どう・・・う・・・」

「無理に話して下さらなくてもいいんですよ・・・辛かったら・・・」

「・・・ごめんなさ・・・ひっ・・・私・・・もう・・・もうだめだって・・・だめだって思って・・・」

「えぇ、えぇ・・・」






八戒は頷きながら席を立つと、の横に立ち、彼女の肩を抱く。
はぼろぼろと涙を流しながら、八戒の胸にぎゅう、と顔をうずめた。






「ごめんなさ・・・ごめんなさい・・・八戒さんには・・・絶対に迷惑・・・かけた・・・くなかったのに・・・」






八戒はを優しく抱きしめ、の背中をなだめるようにさする。





「いいえ、謝る必要なんて、どこにもありません。さんが来てくださったことが、僕にとっては、
 何よりも嬉しいことなんですから、ね?さんが来てくださったことが、僕の救いです。」



「八戒さ・・・」





さん・・・ずっと・・・お待ちしておりました・・・。」







八戒の言葉に、は彼の胸に顔をうずめたまま、声をあげて泣いた。

八戒は、の背中をさすり、を慈しみ、離すまいとするように抱きしめていた。




















































どれだけの時間が経ったであろうか。




もう、日は傾き、空の色は夜に近づいていた。




と八戒は、もしやおとぎ話のように抱き合ったまま固まってしまったのではないかと思われるほど
空気すら動かさずに、その場にいた。



先に動きを取り戻したのは、だった。





「八戒さん・・・ごめんなさい・・・」




八戒がいいえ、と微笑む。




「どうか謝らないで下さいと・・・」




すると、八戒のセリフに、はやわらかく微笑み、首を振った。







「せっかくのコーヒーを冷ましてしまったこと・・・謝らせてください。」








八戒がの目を見、がはにかむように微笑み返す。

二人の間の空気がほわりと変わり、二人で微笑みあった。









「また、淹れましょう。」






「あ、あのオリジナルブレンド、メニューにありましたか?」





八戒が得意そうに笑う。







「いいえ。」







が困ったように首をかしげる。








「あれはさんのためだけのブレンドですから。」








にこりと八戒が言う。さんのためにしかブレンドできないものもあるんですよ、と続ける。
もう、とが照れを隠すように笑い、冷めたコーヒーを口に含む。






「・・・冷めても、おいしいですね。」





が言うと、八戒は自信満々に答えた。

















「僕のさんへの気持ちは冷めませんので。」
























管理人がよく遊びに行かせて頂いているサイト様 「バケツ」の野花様から頂いた宝物です。
光栄な事にビックリ企画のキリ番を踏ませていただいた上に、持ち帰らせていただきました。
八戒店長、最高ですvvvvv
「バケツ」では、桃源郷予備校も開校されています。素敵な先生に会えますよvvv
Bストアでも、八戒店長に会えますvv丁寧な説明をしてくれる八戒店長は必読ですv
野花様、本当に有難う御座いました。