「ありがとうございました。」
本日最後のお客様を送り出して、ドアに掛かっているプレートをCLOSEにかえる。
店内では、まだ八戒と悟浄が残っていた。
明日からBarがオープンという事で、あれから一度店を出て食器類…といっても主にグラス類だが、
それとアルコール類を買って戻ってきたのだ。
いつもなら洗物がそこそこ残っているが、八戒が細々と手伝ってくれたおかげで今日は何も無かった。
まだ時間に余裕があるので、二人にグラスなどを置く場所や、片付けの仕方を教えていく。
アルコール類を置く棚は、どうも明日の夕方に届くのだという。
「じゃあ、いつもより早く片付いたので。お礼です。」
手際よく、はグラスに、カルーア、ウォッカ、オレンジキュラソー、オレンジジュースを注いでステアした。
そして、二人の前に出したクラッシュアイスを詰めたグラスに、それを均等に注ぎいれた。
「へぇ〜。なかなかやるね、チャン。」
「これは?」
「カフェ・コルテサーノです。貴族のコーヒーともいいますよ。」
「「いただきます。」」
二人がカクテルに口をつけたのを見てから、は着替えの為に一度二階に上がった。
白いブラウス、黒のベストとスカートから、女の子らしいパステルピンクのキャミソールとオフホワイトのスカートに着替えた。
今日の売り上げの計算を素早く済ませ、売上金をお店用の財布にしまい、カバンに入れる。
戸締りをしてから、階下へと降りた。
が、そこで待っていた悟浄に気付くのが遅れた。
悟浄にしてみれば、ただ階段の横でが下りてくるのを待っていただけだが
にしてみれば、突然視界に悟浄が現れたので驚いて小さな悲鳴を上げていた。
「っと、ワリィ。驚かすつもりは……。」
反射的に謝り、の肩に手をまわした。
が、逆に涙を流しだしたに、悟浄は肩に置いていた手を離した。
そこに、の悲鳴を聞きつけた八戒が現れた。
泣いていると悟浄を交互に見つめてから、笑顔で悟浄に詰め寄った。
「悟浄、さんに何をしたんですか?」
「いや…。別に……。」
「別にじゃないでしょう。答え次第では、分かってますネ?」
そう言いながら、八戒は泣いているに触れようとしたが、途端身をひるがえされた。
出していた手が虚しく空を切る。
「ご……め………さい。」
「いえ。こちらこそ、悟浄が迷惑をかけてしまって、すいませんでした。」
ハンカチで涙を拭いたがようやく顔を上げた。
「悟浄さんは悪くないです。私が気付くのが遅くって、驚いてしまっただけですから。」
「ですが…。それだけではないでしょう?」
「……。突然異性に触られるのに抵抗があるんです。すいません。」
「男性恐怖症ですか?」
八戒の言葉に苦笑しながら、まだ残っていた涙を拭いながら
少し首を傾げた。
「男性恐怖症じゃないと思いますけど。」
「そうですか。でも、誰かの手が早くて申し訳ありませんね。」
「それって俺のことかよ。」
「貴方以外に誰が居るんです?」
「スイマセンデシタ。」
漫才の掛け合いのような、そんなやり取りには思わず笑い出していた。
そんなの笑顔を見て、八戒と悟浄は互いに顔を見合わせた。
「やっと笑ってくれましたね。貴女は笑っている方が素敵ですよ。」
「涙は似合わないぜ。」
「あ…、ありがとうございます。」
照れながらもフワッと笑顔を見せた。
そこに咲いた一輪の花に八戒も、悟浄も心囚われてしまった。
「あ!もうこんな時間。」
時計を見ると、もう直ぐ二十時半になろうとしていた。
「遅くなってしまいますね、すいません。
夏とはいえ、夜も遅いですから。変な男が出てきても困りますし、送りますよ。」
「それって、俺の事かよ。」
ガックリ項垂れる悟浄を尻目に、八戒はの返事を待った。
だが、は困ったような顔で二人を見つめていた。
「送るのもダメですか?」
「いえ。そんなワケじゃないんですが、兄が迎えに来てくれますので。」
「だったらそれまで一緒にいるぜ。」
紅い髪をかきあげながら悟浄が申し出るが、当のは首を横に振るばかり。
「男の人と一緒に居たら……。」
「怒られますか?」
「はい。」
「どんな兄貴だって。」
「それだけ大切にされているんですよ。では、僕たちは先に帰りますね。」
八戒に半ば引き摺られながら悟浄も店を出た。
見送りに出てきたに、今度は投げキッスをしたが、ただただ呆然とされるだけだった。
その反応に肩を落としながら、今度は普通にさよならを言い別れた。
「相変わらずですね。」
「うるせぇ!お前も気に入ってんだろ?」
「ええ。」
悟浄の問いに肯定の返事を返しながら、考えるのはのこと。
二十二時以降の外出禁止。
男性と一緒はもってのほか。
それだけ大事に守られているという事ですから、男が出来ようものなら…。
それ以前に潰されそうですね。
「かなり障害が大きいですね。」
「まったくだ。」
二人が路地を出て、角を曲がるのと同じくして、一台の白の高級車が止まった。
「このような時間に……。」
ここはいわゆるオフィス街。
二十時半といっても、まだ残業があれば残っている人も多く、ビルの数々には明かりが点いている。
が、その車が止まった所はちょうど路地の角。
ようは、場違い。
不審に思いながらも、二人は足を進めた。
悟浄はチラッとその車を盗み見している。
バタンっとドアの閉まる音がしたので、八戒も足を止めて振り返った。
夜の月とも劣らない銀糸のような藤色の髪を後ろで纏め上げ、黒いスーツを着た男性が先程八戒たちが通ってきた路地へと入っていった。
あの先にはの店がある。
八戒と悟浄は次の角に身を潜めた。
息を殺しながら見つめる先の車から、もう一人の人物が降り立った。
運転席側から降りた男は、オレンジともいえそうな茶髪をツンと立てて、右目に黒い眼帯をしていた。
先に降りた男と同じく、黒いスーツを着こなしてる。
助手席側にまわり、車に寄り掛かりながらタバコに火を点けるのは、同じ男といえどもさまになっていて、悟浄も八戒も無意識に息を飲んでいた。
二人が息を殺して見つめる中、彼は吸っていたタバコをケータイ灰皿に押し込んだ。
その胸元めがけて、路地からフワッと何かが飛び込んだ。
「さん……ですか。」
「みたいだな。」
その後ろから先程の男が出てきて、車に乗り込むようにとを促している。
始終笑顔のは、逆らうこと無く車に乗った。
二人の男たちも乗り込むと、その車は静かに走り去っていった。
「…もしかして、兄貴か!?」
「十中八九そうでしょうね。」
気を許した相手にしか見せないような、心安らいだ笑顔が二人の脳裏に焼き付いていた。
あの笑顔を向けられるのが自分であれば……。
『ですが、一筋縄ではいかなそうですね。』
『ったく、兄貴なんて邪魔なだけだっつうの。』
そんな二人の心の声を嘲笑うかのように月が雲の間に姿を隠した。
八戒たちが店を出てから、最終的な戸締りをして、店の明かりを落とす。
それを待っていたかのようにドアがノックされた。
兄が迎えに来てくれたのだ。
毎日、必ず同じ時刻に迎えに来てくれる。
ドアを開けると、やはりそこには兄が居て、優しく微笑んでいた。
「帰れますか?」
「うん。紫鴛お兄ちゃん。」
鍵を掛けてから、上の兄の紫鴛の腕に自分の腕を絡めて歩き出した。
他の男性は、触られるのも、自分から触るのも苦手だが、兄は違う。
安心するのだ。
両親を早くに亡くしていた。
その分、上の兄の紫鴛には厳しく、下の兄の是音には優しく。
父と母的な存在でを育ててくれた。
そんな兄達が大好きな。
兄たちも、のことが大好きで。
あと少しで路地から出るという頃、が紫鴛の腕から離れた。
そして、前方で待っていた是音の胸めがけて、は駆け出した。
「ただいま。」
そう言って抱きつくを、優しく抱きしめてくれる。
その兄の顔はいつもに増して優しくて……。
そんな兄たちの表情を見るのが、は大好きだった。
後から歩いてきた紫鴛に促されて、は車に乗った。
「気付きましたか、是音?」
「ああ。あの二人の事だろ。」
が淹れたコーヒーを飲みながらリビングで寛ぐ二人。
だが、話の内容は寛ぐとは程遠いものだった。
はもう休んでいる。
だから、聞かれる事は無いのだが、互いに声を落としてしまう。
「たしか、観世音グループの。」
「次期社長秘書ですね。紅い方は営業課長です。」
かなり曲者の観世音。
そこの策士ともいわれる猪八戒。
そして、行動派の沙悟浄。
今日は姿が無かったが、カリスマ性の高い次期社長の玄奘三蔵。
彼らは、紫鴛と是音の働いている崑婪グループにとってライバル社だ。
その二人が、に近づいている。
の事を、崑婪グループの社長秘書の紫鴛の妹だと知ったことではないだろう。
が、それでも黙って見過ごすワケにはいかない。
なんといっても、二人の可愛い妹なのだから。
「少し探ってみるか?」
「ええ。そうして下さい。」
に近づく男には、決して容赦しないのがこの兄達なのだ。
だから、自分達が仕えている社長の焔ですら、年頃になる前には合わせなくしたいたぐらいである。
の方は気にしていないが、焔は最近やたらと煩く言ってくる。
こちらも困りものだが、街でばったりと会うというのも嫌なので、が店を出す時に崑婪グループの本社ビルの近くに出させた。
これなら、もし出先でお茶をするにしても、会う確立は極めて低い。
焔にしても、まさか目と鼻の先に気になっているがいるなどとは考えもしないことで。
まさに、策士紫鴛の手の内で泳がされているのだ。
「あまりしつこいようでしたら。そうですね……。」
「どうする。」
「もちろん、に二度と近づけないようにして差し上げますよ。」
「そうだな。」
紫鴛の細い瞳が更に細まった。
それを是音が面白そうに見つめる。
どうやら一波乱起こりそうな、そんな感じだった。
大切なを守る為なら…。
俺たちは、何だってしてやるさ。
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