順調に西へと走行しているジープが止まった。
地図を広げ、現在地を確認する八戒。
その無言の動作に、他の四人が四人とも眉を寄せた。
――― encounter ――― act.4
ジープの運転も、ナビも、全て八戒任せで。
助手席に座りナビをするハズの人物はそれこそ最高僧で、ナビなどするハズもなく。
ただタバコを燻らすばかりで……。
「おい、八戒。」
そんな無言の空気を破ったのは三蔵の少し不機嫌な声だった。
「…。」
「まさか、迷ったのか?」
「みたいですネ。あはははは。」
「戻れねぇのか!?」
「……戻ってもいいんですけど、どのみち野宿決定ですから。ちょうど川も近いようですし、今日はこのままココで野宿にしましょう。」
三蔵の険悪な雰囲気をもろともせず、八戒が有無を言わせずに野宿だと結論を出した。
ある意味、一番強いのって八戒じゃないか?と悟るだった。
野宿が決定したところで、三蔵は黙ってジープから降り、近くの木の幹に寄り掛かりながら眼鏡をかけ、新聞を広げていた。
そう、いつもの行動。
「さて。では悟空と悟浄は、小枝拾ってきて下さいね。」
「「おう。」」
「じゃあ僕、水汲みに行ってくるよ。」
「待ってください。僕も行きますよ。」
一人で行こうとしていたを呼び止め、八戒は野菜を籠に入れてその隣に並んだ。
川辺に着いて、は水を汲み、八戒はその横で野菜を洗う。
が紅の束縛を振り切ったのには安心した。
僕と違う―――束縛の紅。
けれども、返り血を浴びたの服を着替えさせた時、シャツの下に巻かれたサラシが気になってしまった。
黙ってそれを解こうとも思わず、血のついたシャツだけを着替えさせて終わった。
後から三蔵に聞くと、「本人に聞け。」と、もっともな答えを言われた。
それから聞くに聞けずに、今日まで来てしまった。
一体、どう切り出したらいいんでしょうね。
深い溜息を吐き、洗った野菜を籠へ戻した。
「八戒?これ、剥いちゃっていいんだろ?」
「あっ…、ええ。お願いします。」
が、持っていたナイフで器用にジャガイモの皮を剥いていく。
危なっかしくも無く、なかなか手馴れたものだった。
「なかなか手馴れたものですね。お手伝いしてたんですか?」
「そ。向こうにいた時にね。…姉が居たんだけど、ど〜もおっとりしててさ。
包丁持たせる度に指切って、危なっかしくてさ。気が付いたら、僕が作ってたんだ。」
「あ……、すいません。」
思い出したように言う、の横顔が寂しげで、八戒は慌てて謝った。
過去に囚われていない事に気が緩んでいたのでしょうか。
僕とした事が…。
囚われていなくとも、思い出として閉まってしまうには辛い事実なんですよね。
「いいよ、そんな気にしなくて。ところで、今日の献立は?」
「夏ですから、あまり食糧残っていないので、カレーです。」
「カレーか。僕が初めて作ったのもカレーだったな。」
遠くを見ながら、はゆっくりと言葉を紡いだ。
初めて知るの過去。
それを、八戒は黙って聞いていた。
僕と姉は二才違い。
小学5年の時、両親が師範代を継ぐ為の継承式に行っちゃって、夕食を姉が作ろうとしてたんだ。
僕が剣術の稽古を終えて、台所に入ったらさ。
出来てるどころか、豆粒ぐらいのジャガイモがさ………。くくっ。
指も至る所切ってるし、ホントあの時は焦ったよ。
急いで消毒して、バンドエイド貼ってさ。
後は僕がする!って、無理やり包丁奪って作ったのがカレーだった。
大人になっても、料理が出来ないからさ。
結婚するなら、料理ができる男がいいって、いつも言ってたっけ。
そう言って、クスッと笑うが、何処か無理をしている様で……。
「カレー、やめます?」
「へっ!?ああ、大丈夫だよ。だって、僕の居場所はココだから。懐かしい思い出ってだけで、気にしてないよ。」
「……本当ですか?」
「うん。」
皮を剥いた野菜を籠に戻し、は立ち上がった。
話をしていながらも、八戒の視線が気になっていた。
本人はきっと無意識なのだろうが、どうも胸の辺りに注がれる視線。
大方、三蔵に聞いたが、直接本人に聞けとでも言われたんだろうな。
自分の後を追って立ち上がった八戒を振り返る。
蒼の瞳と、翡翠の瞳が絡まった。
「”傷”だよ。」
「はい?何が…でしょうか。」
キョトンとした八戒が可笑しくて、は思わず吹き出してしまった。
「?」
「ごめん。気になってたんだろ、サラシの下。」
「あ……。すいません。」
「別に。三蔵にも聞かれたから。」
「傷ですか。僕も、お腹にあるんですよ。」
大事な姉を亡くして、負った傷。
淡々と語られる事実に、今度はが目を見張った。
そして、述べられた真実。
――八戒が妖怪だという、事実。
翡翠の瞳が悲しげに揺れた。
「怖いですか?」
「?全然。八戒は、何があっても八戒だよ。それ以上でも、それ以下でもない。
人生なんて、そんなもんだろ?何かを背負って生きていくしかない、死ぬまでの悪あがきってね。」
溢れんばかりの笑顔を向けられた八戒は、そんなに見惚れた。
「僕も、足掻いて、もがいて、自分の存在意義を探すんだ。」
「…三蔵と同じ事言われるなんて、思いませんでした。」
「え?」
「言われたんじゃないんですか?」
「殺した奴の命を背負い込むな。血は何度でも洗い流せるから、って言われただけだよ。
行こう。早くカレー作らないと、悟空が倒れちゃうよ。」
「そうですね。」
の笑顔、少し戸惑った顔……等、その変化の一つ一つが八戒の心臓を鷲掴みにしていく。
悟浄にはああ言ったものの、自分もまさかその気があるのかと疑いたくなる程に、の見せる表情にドキドキしている。
顔や仕草、声までも、自分を染めていくようで。
僕って、アブノーマルだったんでしょうか?
限定ですけど…。
サワサワと風に揺れる木の葉の音で、目が覚めた。
時間的には、日が替わるか替わらないかぐらいだろう。
木の幹に凭れ掛かる様に寝ていたが、ゆっくりと身体を起こした。
見渡すと、他の四人も同じように木に凭れたり、ジープに凭れたりして眠っていた。
見上げると、それはもう満天の星空で……。
もう一度瞼を閉じて寝ようとしたが、星空が自分を呼んでいるようで、被っていたシーツを横にのけた。
気配を殺して立ち上がり、その場を離れ川辺の方に歩いて行く。
そこは少し開けていて、登りやすそうな木もあったから。
が見えなくなると、少し機嫌の悪い紫暗の瞳が闇に現われた。
チッと軽い舌打ちが、翡翠の瞳の柔らかい視線で阻止される。
それを面白そうに見つめているのは紅い瞳。
「心配いりませんよ。」
「フン、誰が。」
「くくっ。素直じゃないね〜、三蔵サマは。」
「テメェ、死にてぇのか。」
それに降参とばかりに両手を挙げる悟浄。
「様子を見て、遅いようなら見てきます。」
「ああ。」
川辺に辿り着き、水を汲みに来た時に見つけていた一本の大木に手を掛ける。
身体を翻して、一番下の枝に飛び上がった。
「一体何年ぶりだろ。木登りなんて。」
苦笑しながらも、身軽な身のこなしで、あっという間に一番上の枝まで辿り着いた。
寄り掛かるように、身体を木に預けて、見上げる星空。
輝く星達に、右手をグッと伸ばした。
「届きそうだな。」
星と、存在を主張するように輝く月。
こんな星空を見たことがあるだろうか?
答えは、否。
明かりが溢れんばかりの街で、夜空の星なんて見る事自体不可能だった。
こんなに綺麗なのに……。
「凄いな。」
「誰か居るのか?」
「へっ!?…うわっ!!」
誰も居ないと思っていたのに、急に聞こえてきた声に驚いて体勢を崩した。
うわっ、落ちる;。
結構登ったからなぁ。
落ちたらタダじゃすまないだろうなぁ。
そんな事を考えながら、次に来るであろう衝撃に受身を取りながら、歯を食いしばる。
が―――。
来るはずの衝撃が来ない。
恐る恐る、閉じていた目を開けると、悟浄とは違う長い紅い髪が目に映った。
「こ……紅孩児!!」
「すまない。驚かすつもりはなかたのだが。」
空中で紅孩児に抱きとめられていた。
シュッと近くの太い枝に飛び降りてから、ようやく紅孩児が抱きしめていた手をほどいた。
「ビックリした。」
「俺もだ。まさか、お前が居るとは思わなかった。怪我はないか?」
「うん。ありがと。」
立ち話もなんなんで……と、その枝に腰掛けた。
紅孩児も、同じように隣に座った。
「眠れないのか?」
「ん〜、起きちゃってさ。星空があんまり綺麗だったから。……紅孩児もだろ?」
「ああ。散歩だ。」
「一人で?」
「ああ。お前もそうだろ?」
「うん。……あっ!!」
の突然の声に、紅孩児が驚いてを見た。
月明かりに照らされたの、花が咲いたような笑顔に、紅孩児の心臓が跳ねた。
顔が赤くなっているように感じるが、それを誤魔化すように「何だ?」と、問いかける。
一呼吸おいたが、また微笑んだ。
「こんばんは。」
「ああ。……こんばんは。」
そして、二人で笑いあった。
面白い奴だ。
先日会った時は、何処か思い詰めているような節があったのだが、それも無くなっていて。
今は、コロコロと変わるその表情に、少なからずドキドキしていた。
「紅孩児ってさ。」
「”紅”でいい。」
「紅って……妖怪なんだよな?」
「―――ああ。怖いか?」
「全然。妹思いのイイお兄さんだもん。」
の答えに、紅孩児は心底安心した。
何故か、コイツには嫌われたくないと思っていた。
先程感じたの体温と、重みが、抱きとめた腕によみがえった。
男か?と疑いたくなる程の華奢な身体と、軽すぎる重み。
そして感じる疑問。
つい先日会ったのは、ここからかなり離れた街だった。
今居るのが街ならまだしも、ここは森の中。
散歩にしても、一番近い街から来れる範囲ではない。
「お前は何故このような所にいる。」
「僕?旅してるんだ。言わなかった?」
「聞いていないが…。妖怪に襲われるなよ。」
「ありがとう。僕、こう見えても結構強いから。」
御茶目な表情に、紅孩児も自然と笑顔になる。
「ならいいが、何処へ行く?」
「僕の存在理由を探しに……かな?」
「お前はちゃんとココに居るじゃないか。違うのか?」
心配そうに覗き込んでくる紅孩児に、詳しくはないが家族が居たことを話した。
本当は、僕が死んだと言わなければならなかったのだが。
「両親と姉が、もう居ないんだ。僕、一人だけがココに居るんだ。」
「だからか。思い詰めていたのは。」
「あれ?解っちゃったんだ。さすが、お兄さんだね。」
僕に兄が居たら、こんな感じなのだろうか。
「まあな。」
「やっぱりイイ奴だな。紅は。」
「そうか。」
「ん。……妖怪だけど、気にならないし。安心する……。」
コツンと、紅孩児の腕にの頭が寄り掛かってきた。
「?」
呼びかけると、小さな声で「紅。」と聞こえたきり、何も言ってこなくなった。
少し屈んでその表情を確認すると、瞼が閉じられ、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「”安心する”か。にしても、こんな所で寝る奴があるか。」
苦笑しながらも、起こさぬようにの身体を抱き上げ、地面に着地する。
その木の幹に寄り掛からせるように身体を横たえ、その周りに妖怪対策としての結界を施した。
少しでもゆっくりと眠れるように。
「本当なら、ずっと居てやってもいいんだがな。」
朝になり、自分が居ない事が分かると、騒ぎ出すであろう面々が頭によぎる。
聞こえるはずは無いが、「またな。」と残して、紅孩児はその場を立ち去った。
かなりの時が経っても帰ってこないが気になって、八戒が探しに来た。
と、一本の大木の幹に寄り掛かって眠っているを見つけた。
ホッと胸を撫で下ろし、起こさないように静かに近寄った。
そこで、結界が張られていることに気付いた。
「、結界張れましたっけ?」
疑問に思いながらも、それを気功で壊して寝ているを抱き上げた。
少し身じろぎしただけで、起きる気配はない。
お姫様抱っこで抱き上げたまま、八戒はの寝顔を伺った。
「本当に華奢ですね、貴方は。」
八戒の小さな呟きだけが、闇に溶けていった。
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