蓮の花が咲き誇る池を、観世音菩薩は静かに看ていた。

「・・・やるのか。」

呟いた菩薩の視線の先にはがいた。
いつもは大胆不敵な笑みを浮かべている菩薩だが、さすがに今日は違った。

何が起きるか分からない。
青龍が、今のを認めれば問題ない。
だが、認めなければ・・・。
最悪の事態も考えられる。
その上、青龍は折り紙付きの頑固者だ。
自分が認めた王のみにしか従わない。

切れ長の漆黒の瞳が微かに揺れた。

「観世音菩薩!また公務をサボられて・・・。」

そう言いながらやってきた二郎神に、菩薩は盛大な溜息を落とした。

「サボっちゃいねーさ。」
「また無茶苦茶な・・・。」
「看てんだよ。今回ばかりは、少々ヤバいかもしれねぇからな。」
「まさか、様が?」
「あぁ。青龍の目覚めの刻がくる。」








――― revival ――― act.3








三蔵一行は洞窟から東へ向きをかえ、森の奥へと歩を進めていた。
昨夜、夢から覚めたが三蔵にあらかたの事情を説明していた。
自分一人で行ってくる、と言ってきかないをなんとか説得して全員で行動している。
だんだんと森が深くなる。
早朝ということもあってか、辺りはまだ薄暗く、少し湿気を帯びた嫌な風が吹いていた。
そんななか、先を行っていた悟空が大声でを呼んだ。
目当てのモノを見つけたのだろう。
が視線を向けると、苔がはりめぐっている巨大な老木があった。
その大木の根元を、悟空がぐるりと回っている。

!祠なんてないぞ?」

悟浄も八戒も同様に探してくれているが、確かにそれらしきモノは見当たらなかった。

「違ってんじゃねぇのか?」

自分は何もしていない三蔵がぼそっと呟いた。

「ん。・・・どうだろう。」

自身も、大木の周りを注意しながら回ってみるが、祠なんて何処にも見当たらなかった。
悟浄の言ったとおり、間違っているのだろうか。
首を傾げたのもとに、八戒の肩にとまっていたジープが一声鳴いて舞い降りた。

「やっぱりあってるよ。」

肩にとまったジープの頭を軽く撫でてやる。
気持ち良さそうに深紅の瞳を細めたジープをそのままに、は老木にそっと触れた。
触れた所が温もりを増す。
の手からポウッと光りが現れて、すぐに消えた。
それが何を意味するのかは解らなかった。
が、再度幹の周りを探すと、深く覆われた苔の下に祠を見つけた。

「・・・これか。」
「にしても、封印解くってどうすんだよ。」

ジープがとまっている肩とは反対のの右肩に、悟浄が乗り掛かってきた。
紅い髪が項にかかってくすぐったい。

「てめぇ!くっついてんじゃねぇ!!」

ガウン!

「あ!!」

すべてがスローモーションのようだった。
三蔵が放った弾丸が悟浄の髪を何本か掠め、その大木に打ち込まれそうになった。
それをの『氷雨』が叩き落していた。

「・・・ッぶねぇ。」

悟浄の鼻先に蒼く光る刃が煌いている。

「ごめん。でも、離れてくれない?」
「お・・・おう。ワリィな。」

悟浄の向こう側に居た三蔵が、眉間に深い皺を寄せて睨んでいる。
紫暗の瞳に映し出されているのは
その目が理由を言えと物語っている。

「よく分からないけど、この木を傷つけちゃダメだよ。自分に返って来るから。」
「という事は、三蔵が傷ついていたかもしれないという事ですか?」
「ん。そういう事。」
「チッ。」

舌打ちする三蔵に苦笑しながらも、は皆に少し下がるようにと言った。
封印を解くためだ。

それでも、何が起こるか分からない。
普通に封印が解けるだけならいいんだけど。

肩にとまっていたジープを、そっと八戒へ手渡す。

「きゅ〜っ。」

そんなジープが心配そうに一声鳴いた。

「ん〜、たぶん大丈夫。」

ジープにはそう返したものの、青龍の力が解らない。
大木と向き合うの背を嫌な汗が伝った。
口内がカラカラに乾く。
言い知れぬ恐怖とは、こういうモノなのだろうか。

。」
「三蔵?」
「自分自身を信じろ。勝つ気でいけ。」

短い言葉だったが、を安心させるには十分だった。
張り詰めていた力がふっと緩む。

する前に負けるかもなんて思っていたらダメだ。
必ず自分のモノにする。
僕が何者なのかは、今は関係ない。
ただ、八大竜王達と約束した。
それを守って、彼らを助けるんだ。

一歩、老木との距離を縮める。
『氷雨』を祠の前に翳すと、頭の中に流れ込んでくる何か。
その言葉を、迷うこと無く口に出した。
それは、青龍の封印を解くための言霊。





三蔵たちが見守る中、が蒼い碧い光りに飲み込まれていった。
大木を中心にカマイタチが起きる。
寸での所を、八戒の気功でその刃を防ぐ。
風が止むと、目の前に居たはずのの姿がなくなっていた。

「・・・どういう事でしょうか。」
「結界だな。この木の周りに施されている。」
「なぁ・・・・・・三蔵。」

悟空が頼りなげに三蔵の顔を覗き込んだ。
何を言いたいのか。
何が聞きたいのか。
それは、全てにの事だろう。
真直ぐな金色の瞳を正面から受け止めて、三蔵はふっと表情を緩めた。

「フン、は必ず戻ってくる。」

悟空に言い聞かせるように、それでいて自分自身にも言い聞かせるように静かに口にしながら、三蔵は大木を見上げた。

「そうそ。小猿ちゃんは心配すんなって。」
「んだと、このエロ河童!!!」
「まぁまぁ、二人とも。ここはを信じて待つしかありませんね。」

またも始まりそうになった喧嘩を八戒が笑顔で収めて、近くの木に寄りかかった。
三蔵もその隣に寄りかかり、タバコを取り出した。
そんな二人を交互に見つめた悟空と悟浄も、静かに二人にならいその木の根元に腰を下ろした。

ゆっくりと紫煙が空気に溶けていく。

このまま何事もなく時が流れると思ったわけではなかったが、こういう時に限って現れるヤツは現れるわけで・・・。
気配すらなく、次元を渡って目の前に現れた三人の神を、三蔵は忌々しい舌打ちで向かえた。

「金蝉。今日は経文を頂きに来たワケではない。が気になってな。」

予想に反した焔の答えに、器用に方眉を上げて睨み付けた。
それに怯むこと無く、焔一行も反対側の木に背を預けた。

「フン、勝手にしやがれ。」

七人の想いが渦巻く中、誰もがその老木を静かに見つめていた。
誰もが思う事はただ一つなのだから。



































風がに絡みついた。
鋭い刃みたいにに向かって来る。
『氷雨』を全面に出して、その刃を防ぐ。
風が治まったところで顔を上げると、老木に巻きついている、木に負けないくらいの巨大な龍がいた。
碧い、蒼いその身体。
鋭い視線がを襲う。
おそらくは、これが青龍だろう。

「誰だ、お前は。」

空気が揺れる。
低く重みのある声が辺りに響いた。

「僕は。『氷雨』の・・・龍珠の守り人。」
「ほう。王の生まれ変わりというのか。」
「みたいだね。」

さらりと答えると、瞬時に空気が氷のように張り詰めた。

「誰から聞いた。」

は青龍の言葉に怯むこと無く、八大竜王の事を話した。
青龍はただ黙ってその話を聞いていた。

「フン、あやつらの軽はずみな行為が招いた結果だ。」
「じゃあ、貴方は助けに行かないの?」

の問いに、青龍の蒼く鋭い瞳が細まった。

・・・なんだか三蔵に似てるかも。

そう思ったのも束の間。
青龍の思いもよらない言葉に、眉を寄せた。

「せっかく封印が解かれて自由になった身だ。わざわざ厄介事に巻き込まれになど行くわけがない。」
「じゃ、いいや。僕一人で行くから。」

踵を返そうとしたに、ヒュッと何かが飛んできた。
慌てて身を翻したが、避けきれずに頬が少し裂けた。
生暖かいモノが頬を伝う。
それをグイッと手の甲で拭い、青龍を振り仰いだ。

「お前は俺を従えて行くつもりはないのか。」
「何故?」
「その為に封印を解いたのではないのか。」
「でも、貴方がその気じゃないなら仕方ないよ。」

肩を竦めたを、青龍が鼻で笑った。

「人間風情が勝てるはずなどない。」
「僕が弱いという事?」
「違うか?強いのなら、俺を説き伏せてみろ。」

そう言った青龍が、口を開きハァーっと息を吐き出した。
それが先程と同じ氷の剣となってに向かってくる。
は避ける事すらせずに、ただ前を・・・青龍を見据えた。
無数の刃がの身体を切り裂いていく。
身体の至る所を切り裂かれ、無数の血が辺りに飛び散った。

「ぐっ・・・。」

痛みに顔を歪めながら、それでも膝をつかないように踏み止まる。

「何故戦わぬ。」
「力ずくで従わせるなんて、僕が嫌だから。」
「力の上下で、関係が変わる。」
「なら貴方の言う「強い」とは、どれぐらいの強さをいうの?確かに僕は弱いよ。傷つけられれば傷つくし・・・。
でも、心は「強い」。信じるものを信じ続け、傷ついてもまた立ち上がって真直ぐに進んでいける「強さ」を僕は持っている。」

気を緩めれば倒れてしまいそうになる身体を必死で堪え、青龍の真っ青な瞳を見据えて言い切った。
空気が揺れた。

「小癪なヤツよ。心が強くとも、死ねば終わりだ。」
「でも・・・いくら力が「強く」ても、心が弱ければ壊れてしまう。体は生きていても心が死ねば、それも「死」だよ。」
「フン。ならばこれで最期だ。」

青龍が口を開く。
今までで一番大きな氷の刃が姿を現した。

戦うか?
否、それは出来ない。
・・・ねぇ、三蔵。僕、これでよかったんだよね?
自分の心の眼を信じたから。
例え、この先の結果がどうであれ、僕は後悔しないよ。


「いいよ、来いよ!」

静かに瞳を閉じて深呼吸する。
ゆっくりと蒼い瞳を開けた時、手に『氷雨』を構えた。

「ほう。ようやく戦う気になったのか。」

「所詮、口だけよ」と聞こえた気がした。
そして、氷の刃が真直ぐに目掛けて飛んできた。
青龍から離れたそれは、狙い外れること無くの心臓に向かってきている。
瞬間、は手にしていた『氷雨』を離し、両手を広げて瞳を閉じた。

そうだよ、これでいい。
青龍の想いを全て受け止めてやる。
それで命を落としても・・・、後悔しないよ。


「なッ!!!」
「ぐっ・・・・・・・。」

青龍の驚愕の声と、の血を吐く声が重なった。

氷の刃が突き刺さった心臓。
身体が焼けるように熱を帯びていく。
ズキズキと焼けるように脈打つ鼓動。
視界が歪み、世界を消していく。
この痛みも、あの時と同じだ。
これで死ぬのは二度目なんだ。
そんな事が頭を掠めた。

の身体がスローモーションのようにゆっくりと傾いていく。
それを見ていた青龍が動いた。

「・・・・・・・・・・。」

静かに言霊を紡ぐと、真っ赤な血の海に倒れていたの身体と、『氷雨』が宙に浮き上がった。
碧い、蒼い光りが青龍と『氷雨』から発せられ、を包み込む。

「我らが龍王の復活を。」


の瞼がゆっくりと開いた。
それと同時に、空中で横たわっていた身体も自然と地面に足を下ろしていた。
しっかりと大地を踏みしめたが青龍を蒼い瞳に映すと、先程までの刺々しい感じはなくなり、穏やかな表情に変わっていた。

王。よくお戻り下さいました。」
「・・・僕、死んだんじゃなかったの?」

改めて自分の身体を見るだったが、服や身体に付いた血はそのまま残っているが、傷口は見当たらなかった。

「貴方様の力を見極める為だとはいえ、傷つけてしまい・・・申し訳ありません。」
「話しはぐらかさないで。」
「まさか無抵抗だとは思わなかったもので・・・。」

の持っている龍珠と、青龍自信の力で復活させたのだと告げられた。
あまり納得のいく説明でもないし、よく理解できないが深く考えない事にした。
それでも、一つは気になった事を聞く。

「・・・僕ってゾンビ?」
「いえ。ちゃんと生きておいでです。」
「ところで・・・・・・・。」


どうやらの時も同じ事を言われたそうだ。
「強さ」とは何か。
「死」とは何か。
その答えがと同じだったらしい。
だが、青龍自身が仕えるのは王ただ一人だと・・・。
を認められなかったのだと言う。
刃を向ければ本当にそこまでだと思った。
が、は『氷雨』を捨てて、氷の刃を受け止めた。
青龍の想いを受け入れた。
何もかもが、だったそうだ。


「貴方に永遠の忠誠を。」
「そんなにかしこまらないでよ。」
「ですが、龍王。」
「だから!でもでもいいから”王”や”様”はやめて。」

まだ何か言いかけた青龍を、の声が遮った。
諦めたように次の言葉を飲み込んだ青龍。

「・・・はい、。」
「じゃあ、僕と一緒に来てくれる?」

がスッと手を差し出した。

「意のままに。」
「よろしく、青龍。」

それに答えるように青龍は一声嘶き、一度宙に舞い上がった。
の見つめる先で、巨大な姿だったのがジープと同じくらいの姿に変わっていく。
バサッと羽根を震わせて舞い降りてきた蒼い龍。
の前に跪き、頭を垂れた。
差し出していた手にもう片方の手も添えて、項垂れている青龍を抱き上げた。





さあ、戻ろう。
三蔵たちが待っている。
さあ、行こう。
八大竜王が待っている。
僕に何が出来るかなんて、正直わからない。
でも、信じていけるモノがあるから。
だから迷わずに進んでいける。
力の限り、全力で前に進もう。
それが、僕だから。





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