外は雨。
その雨はが倒れてから5日間ずっと降り続いている。
乾いた大地は潤いを取り戻し、干からびた川は以前のような水流を取り戻した。
恵みの雨。
――― revival ――― act.10
ぼんやりと窓から外を眺める。
降り続く雨で外は暗く、三蔵の髪がサラリと揺れたのが、部屋の明かりでガラスに映った。
雨は嫌いだ。
光明三蔵法師が・・・お師匠様が殺された日のことを思い出してしまう。
人々にとって恵みの雨だとしても、三蔵にとってはただの煩いモノでしかなかった。
視線を外から外し、ベットで眠るに向ける。
あれから、まだ意識が戻らない。
宿に帰り付いた時は、呼吸も浅く不確かなもので、体温も40度近くあった。
・・・また失うんじゃないか・・・とさえ思った。
だから・・・雨は嫌いだ。
医者に見せたが、どうも出血量が激しかったのと、傷口から毒が体内に入り込んでいるので、一刻も油断はならないと告げられた。
その上、肺炎まで併発している。
今も部屋の中に、のゼイゼイと苦しそうな息遣いが聞こえる。
そんな中、別の音がした。
ドアをノックする音だったが、答えずに視線のみをそちらへと動かす。
「三蔵、入りますよ。」
お盆を手に、入ってきたのは八戒だった。
「三蔵。少しでも食べて、休んで下さい。」
「・・・。」
「・・・心配なのは解りますが、が目覚めた時に貴方が倒れていたらどうするんですか。」
「るせぇ。」
八戒が言うとおりなのは解っている。
だが、雨で・・・ただでさえイラついている時に。
がこんな状態で、自分だけが寝ていられるか。
もし。
もし・・・最悪、俺が寝ている時に何かあったら・・・。
それすら考えてしまう。
恐怖に怯えてるガキ・・・か。
ああ、確かにそうだ。
自嘲気味に口元を歪める三蔵の様子に肩を竦め、持ってきた昼食をテーブルに置いた。
そしての眠るベットの横の椅子に腰を下ろした。
「まだ気が付かないんですね。」
額に乗せていた濡れタオルを取り、片手をそっと当てる。
肌に感じる熱は、だいぶ下がってきているんですけど。
まだ・・・ですか。
貴方しかいないんですよ、。
今の三蔵を、救ってあげて下さい。
そっとの額にかかった前髪をすくい上げた。
と、の瞼が微かに動いた。
見間違いかと思われる程の微かな反応だったが、それに気付いた八戒がを呼んだ。
そんな八戒の様子に、三蔵が窓辺を離れた。
「どうした!」
「の瞼が微かに動いたんです。」
「!!起きろッ!いい加減、目覚ましやがれ!!!」
―誰かが呼んでる。
辛そうな声。
ずっと、ずっと聞こえていた。
そして懐かしい声。
ああ・・・そうだ。
この声は、三蔵・・・。
「さ・・・ぞ・・・。」
「!!」
ああ、そんな辛そうな声で・・・。
ごめんね、心配かけて。
「さんぞ」
ゆっくりと重い瞼を開くと、やはり心配顔で、どこか辛そうな三蔵が覗き込んでいた。
その隣には、安堵の表情を浮かべた八戒がいた。
「も・・・大丈夫。ありがと」
「遅せぇんだよ。」
「そんなに・・・寝てた?」
「ええ。5日間昏睡状態でしたからね。」
「5日・・・か。」
「とりあえず熱計って下さいね。肺炎にもなってますから、無理はしないで下さいよ。」
八戒に体温計を渡されながら、この息苦しさの原因に妙に納得した。
あれだけ水をかぶってたら、肺炎にもなる、か。
八戒が何か作ってきますと部屋を出ていくと、沈黙がその場を支配した。
先程の痛そうな、辛そうな声が蘇る。
何がそんなに三蔵を苦しめているのか。
僕が昏睡状態だったってだけじゃなさそうだし。
ふと静寂の中、雨音が聞こえてきた。
「雨・・・降ってるの?」
「ああ。」
「・・・三蔵、雨嫌い?」
何故か、そんな気がした。
聞いた瞬間、三蔵は紫暗の瞳を一度見開いた後、眉間に皺を作った。
何も言ってないが、それら全てが肯定の印。
理由は教えてはくれないだろう。
きっと・・・何かとても辛い事だと、そんな気がした。
雨に捕われている過去。
乗り越えなければならないのは、三蔵自身なのだけど。
「ね、三蔵。」
「・・・」
鋭い視線がを貫く。
何も聞くなと。
放っておけと。
でも、そんなこと出来ない。
「三蔵。止まない雨はないよ。必ず晴れるから・・・だから」
「ああ、そうだな。」
鋭い視線が和らいだ。
そして三蔵の手がの頬に触れる。
「雨の日におまえまで失うところだった。・・・。」
「僕はちゃんと生きてるよ。」
「おまえは俺のもんだ。」
「・・・どうしてそうなるかな。」
言い換えれば、「俺を置いて何処へも行くな」と言っているのだろうけど、言葉の少なさにさすがは三蔵だなと苦笑する。
「、おまえに拒否権なんざないんだよ。まだ解らねぇのか?」
ニヤッと口角の上がった三蔵が、視線をの身体へと移す。
それを追うようにも自身の身体を見た。
血塗れで切り裂かれた服は纏ってなく、綺麗な白いシャツと紺色のズボンに代わっていた。
「俺がこんな事をしたのはおまえだけだ。」
「・・・み、見た!?」
「ああ。」
抗議の声を上げようとした唇を三蔵に塞がれた。
とても優しい口付けに、の身体の力が抜けていく。
三蔵に包み込まれているような、そんな感覚だった。
でも、いつものタバコの香りが、味がしない。
「・・・まさか、ずっといてくれたの?」
「ふん。バカな事考えてんじゃねぇ。襲うぞ。」
「くすっ。ありがと、三蔵。」
やっぱりそうだ。
それはこの人の心配の表れ、優しさの裏返しだから。
宿の厨房へと下りていった八戒を待っていたかのように、空の皿を目の前に差し出してくる悟空。
「なぁ、八戒〜。おかわりねえの?」
食堂のテーブルの上、悟空と悟浄の目の前には山のような皿が積み重ねられている。
雨の日で、ただでさえ参っているのに、この二人は・・・。
それでも、一番の心配事はなくなりましたしね。
安堵の息を吐き出して、一人前用の土鍋をコンロにのせる。
手際よくネギを刻み、中華粥の用意をしていく。
「中華粥か〜。でも八戒、それ少ねーよ!」
「るせぇんだよ、脳ミソ胃袋猿!!」
「んだと!このエロエロエロエロ河童ッ!!!!」
「ぐっ。バカ猿!それ見て気付かねえのかよ。ったく、ホントバカだね〜。」
悟浄が呆れながら悟空の頭を小突く。
そんな二人に、自然と八戒の眼差しが和らいだ。
「そうですよ。の意識が戻りました。」
「えっ!マジで!?よかった〜。」
「で・・・どうよ。」
「まぁ、熱はだいぶん下がってましたから」
「じゃねえって。三蔵サマよ。」
厨房の入り口にもたれかかって、タバコから一筋の紫煙を立ち上げている悟浄。
手元へ向いていた八戒の顔が悟浄へと向けられた。
「大丈夫じゃないですか?」
あの蛟魔王との死闘後、倒れ傷ついたを三蔵が抱き抱え宿へと戻った。
その後は八戒の役目だったはずが、三蔵がそれを許さず、三蔵自身がを着替えさせてベットへ寝かせた。
その後、今日まで食事も摂らず、一睡もせずに傍についている。
雨が降っている事もあるが、が昏睡状態だった事が一番響いていたのだろう。
食べないのを分かっていながらも、食事を運んでいた八戒には三蔵の気持ちが痛いほど伝わっていた。
それに、いつもなら愛用のマルボロが買い置きも底をつく程の勢いでなくなるのが、この五日、一口も口にしていない。
部屋に置かれた灰皿は綺麗なままだった。
の体調を気遣っての事だろう。
意外に思えてしまう三蔵の行動が、どれだけ本気なのかを表していた。
「にしてもよぉ、女に興味ないって病気だって思ってたらよ・・・。」
「まあいいじゃありませんか。」
「まあな。実は俺もやばかったワケだし?」
切れ長の紅い瞳を細め、肩を竦めた悟浄。
男でも女でも、それだけ大切な人ができたら。
・・・それはそれでいい事なんでしょうけどね。
「なあ、八戒!」
金色の瞳を一段と大きく輝かせた悟空が、八戒を下から覗き込んでいた。
「なんです、悟空。」
「俺さ。なんつーか、安心したら腹減った!!」
「こんの脳ミソ胃袋猿!!!今食ったばっかだろうがっ!」
あはは。
賑やかですよ、三蔵、。
ここには、いつもの仲間が待っていますから。
だから、どうか早くよくなっていつもの笑顔を見せて下さい。
「でも・・・ホモ・・・ですか。」
「何、何?!ホモソーセージあんの?」
「お前、やっぱりバカ決定だな。」
「んだと!この赤ゴキエロ河童ッ!」
「なにを〜ッ!!」
いつまでも続く二人の言い合いを止めるでもなく、止めたのはコンロの火で。
出来上がった中華粥をお盆に乗せて、の部屋に向かった。
後には、まだまだ言い争っている二人がいて・・・。
この分だと、当分収まりませんね。
溜息を吐き出し、窓を見た。
激しかった雨も、いつの間にかあがっていた。
遠くの空には少しだが、雲間に青空がかいま見えていた。
それに色をさす虹。
僕もいつかは雨の日を克服する事ができるのでしょうか。
その日を願い、進んでいくのも、足掻き続けるのも悪くない・・・ですね。
一人じゃないから。
支えてくれる大切な仲間がいるから。
「。何度でした?」
温かい湯気の立ち上る小さな土鍋をお盆の上に、戻ってきた八戒がに尋ねた。
三蔵の事に気をとられていたは、忘れてたとばかりに脇の下から体温計を取り出した。
それを受け取り、僅かに眉を寄せる。
「37.6度ですか。まだまだゆっくりと休んで下さいね。」
「はい。」
「あっさりめの中華粥です。少しでも食べて、30分後に薬を飲んでください。三蔵も、ちゃんと食べるんですよ。」
つい先刻の事が蘇り、三蔵は頭を抱えた。
そしてベットですやすやと眠るを見つめる。
八戒の言葉通り、お粥を食べた。
三蔵も5日ぶりの食事を摂った。
そこまではよかった。
が、すぐに薬を飲もうとしたに、三蔵はその手の薬を取り上げた。
「食後30分はあけろ。」
「・・・ケチ。そんなに待てないよ、僕。」
文句を言いながら、たわいもない話を一方的にしてたと思ってたら、いつの間にか寝こけてやがる。
「ったく、このバカ娘が。」
溜息を吐いて、サイドテーブルに置いてある薬をちらっと見た。
せっかく下がってきた熱だ。
薬を飲ませてないと、八戒が何を言うか・・・。
ぴしぴしとの頬を軽く叩くが、一向に起きる気配すらない。
「俺の手を煩わせられるのはおまえだけだよ。」
薬を口に放り込み、水を含んだまま、三蔵はに覆い被さった。
唇を押し開き、薬を流し込む。コクンとノドがなって飲み込んだことが見て取れたので、唇を放した。
ベットサイドのイスに座り、その寝顔を見ながらさらさらの髪を梳く。
「・・・やまない雨はない、か。」
いつの間にか雨はあがり、窓から見える空には七色の虹がかかっていた。
雨は必ずあがる。
過去は必ず振り切れる。
こいつに教えられるとは思わなかったが・・・ゆっくりとだが過去は過去だと心にとめよう。
前を向いて歩いていくために。
今を生き足掻いていくために。
あいつらと、そして・・・いや、と一緒に進んでいこう。
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