見上げる青に映っていた白は、色を混ざらせて消えた。
その代わりに、風に揺られて靡く薄ピンクの花弁が視界に入った。
満開に咲く桜。
車を止めて降り立ったの目の前にも、ヒラヒラと舞い降りてくるそれは
向こうで見ていたのとは少し違って見えた。
そう。ここは日本なのだから・・・。
††††† lost it ††††† act.2
気だるい授業をサボって、駐車場脇のテニスコートのベンチの上で寝そべっていた悟浄。
晴れ渡る青い空を見ながらタバコを吸っていたが、車のエンジン音に視線だけを動かした。
こんな半端な時間に来客なんて珍しい。
そんな軽い気持ちだったが、紅い瞳に映ったのはシルバーメタリックの外車だった。
ヒュ〜♪
軽い口笛を吹いて、その身を起こした。
「一体どんなヤツが乗ってんだ?」
駐車場から校内に入る為には、必ずこのテニスコートの脇を通らないと行けない。
悟浄は吸っていたタバコをケータイ灰皿に押し込んだ。
もちろん悟浄自身が進んで持っているものでは無く、八戒に無理やり持たされているものだ。
それを忘れてその辺に捨てようものなら、後が怖いと以前の経験から学んだ悟浄は仕方なく使っている。
そして悟浄は、コートの出口の植木の陰にその身を隠した。
興味が湧いたから、その人物を見てみたかった。
ただそれだけだったはずが・・・。
カツン、カツンと、ヒールを鳴らす音で相手が女性だと瞬時に察した悟浄は、隠れていた植木の陰から出た。
紅い髪をかき上げながら、此方に向かって来る人物を同じく紅い瞳に入れて、無意識に生唾を呑んだ。
圧倒的な存在感と、相手に何も言わせないような威圧感。
唯我独尊俺様何様な三蔵とはまた違った雰囲気を持つ女性。
車を運転している事から考えても、自分より年上なのは明らかだ。
黒いフォーマルなスーツを着こなし、腰元までの漆黒の髪を揺らしながら一歩、また一歩と悟浄の方へと近づいてくる。
正確には校舎に向かっているのだが・・・。
そんな彼女の冷たい蒼の視線が、悟浄の上を通り過ぎていった。
―――何も言わずに
―――何も言わせずに
カツン、カツンとヒールの音を響かせて、ゆっくりと遠ざかっていく。
そんな彼女の後姿を、ただ呆然と見送った。
彼女の姿が視界から消えた後、悟浄は長い溜息を吐き出した。
心臓が煩いくらいに鳴っている。
何も言えなかった。
いくら年上だとしても、女相手に声を掛けれなかった事なんて今まで無かった。
なのにだ・・・・・・。
その圧倒的な雰囲気に、息をすることさえも忘れていた。
ガシガシと頭を掻きながら、再び溜息を吐く。
「・・・参ったな。」
青い空を仰ぎ見ながら、もう一度ベンチに寝転びタバコに火を点けた。
つい先程まで空に残っていた白が消え、代わりに己の口元から上がる紫煙が線を描いていく。
この空と同じ青なのに。
それは何処か間違いで、深海の蒼なのだろうか。
誰も近づけさせないような・・・。
何もかもを拒絶するような・・・。
冷たい瞳で何者をも圧倒する。
そんな彼女の事が脳裏から離れない。
遠くで鳴るチャイムの音を聞きながら、悟浄は目を閉じた。
四時限目の授業が終わり、集められたプリントを持って紫鴛は職員室へと向かっていた。
そんな彼の前に不意に現れた女性。
実際は階段から廊下に姿を現しただけなのだが、その存在感が圧倒的すぎて突然現れたかのような錯覚に陥った。
思わず立ち止まり、その女性の後姿を見つめてしまった。
そんな中、彼女が立ち止まり振り返り紫鴛を見た。
蒼の瞳が冷たく身体の上を駆け巡る。
息をするのさえ忘れてしまいそうな、そんな冷酷な冷淡な雰囲気。
「ねえ、貴方。理事長室は何処かしら。」
「理事長室ですか。それなら別棟になります。ご一緒いたしましょうか?」
「いいわ。一人で行くから。」
「そうですか。なら――――――。」
道順を教えた後、彼女は一言だけお礼を述べてそのまま去ってしまった。
人を寄せ付けないような、拒絶するようなそんな彼女だが以前何処かで逢ったような気がするのは決して気のせいではないだろう。
一度見聞きした事は忘れる事は無いのですが。
それでも冷たい氷のような、深海のような蒼い瞳に覚えは無かった。
「どうしてしまったのでしょうね。」
自嘲気味に呟いて、職員室へと向かった。
頭にあるのは、先刻の彼女の事のみ。
囚われたのはその瞳。
その雰囲気。
誰も寄せ付けないような、自分の殻に閉じこもっているような。
そんな彼女と自分は一体いつ会ったのでしょうか。
「そう言えば、確か紫鴛だったかしら。」
先程会った人物の名前を思い出したは無意識の内に呟いていた。
もう何年前になるのかすら思い出せない。
否、思い出したくも無い。
壊れてしまいそうな、儚い記憶。
楽しかった頃の思い出。
理事長の養子の焔の友達で、もう一人是音もいたが。
両親に連れられて伯母の家に行った時に会ったはずだ。
自分が今になって思い出したくらいだから、紫鴛はおそらくまだ思い出せないでいるだろう。
あの頃とは全く雰囲気も変わってしまっているのだから。
まあ、せめてもの救いは焔じゃなかったって事かしら?
彼なら、自分がどんなに変わっていても気付くはずだ。
ごまかしは通じない。
理事長が観世音伯母様で、校長が光明伯父様なら三蔵もココに通っているだろう。
「彼らに会わないうちに、さっさと帰りたいものだわ。」
紫鴛に教えられた通りの道を進み、ようやく辿り着いた理事長室の前。
ドアにまで趣味が出ていると思わせるような豪華な造りの扉を、溜息混じりに見上げる。
一呼吸吐いてから、そのドアをノックした。
「入れ。」
中から聞こえてきた観世音の声に「失礼します。」と短く答え、扉を開けた。
何年ぶりかで見た伯母と伯父は、以前と変ること無くの瞳に映った。
「ご無沙汰でした。伯父様、伯母様。」
「おう。待ってたぜ。」
「長旅で疲れたでしょう。お茶でもどうですか?」
「いえ。長居するつもりはありませんから。」
の言葉に、悪戯にニヤッと口角を上げる菩薩。
「まあそんな事言わずに、座ったらどうだ。」
「・・・・・・。失礼します。」
納得しないまま、それでも進められるままソファーに腰を下ろした。
それがこれからの始まりになろうとは・・・・・・。
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後書き