何してるんだろ、私。
……退屈。
こんなに退屈じゃ、思い出してしまう。
考えてしまう時間が出来ちゃうじゃない。
忙しいほうが……いい。
何も考えなくてすむから。
††††† lost it ††††† act.4
あれから。
そう、翡翠と紅の瞳をした彼らの隣を通り過ぎて、は屋上へとやってきた。
昨日、観世音から貰っていた合鍵で屋上の重いドアを開けた。
一人になりたかったから。一人の時間が欲しかったから。
だから強制的に合鍵を貰い受けたのだ。
誰も居ない空間に、先程までの張り詰めていた緊張を解き安堵の息を吐き出した。
外の空気を吸い込み一息ついたところで、は外側からドアのカギをかけた。
誰かが間違っても入り込まないように。
一人の安らげる時間を邪魔されたくなかったから。
そして出てきたドアの壁沿いにその反対側に回り込み、そこに腰を落ち着けた。
フワッと吹き抜けていく風が長い髪を揺らす。
誰も居ない心地よい空間。
警戒しなくてもいい、心休まる空間。
それが一番欲しいモノ。
ノートパソコンの電源を入れ起動するまでの僅かな時間に、ピルケースから取り出したサプリの錠剤を飲み込んだ。
時間を気にしているの栄養源だった。
ピルケースを胸ポケットにしまい、立ち上がった画面に目を落とす。
メールの確認をすると、それはの予想以上の数が受信されていた。
どれもが向こうに残してきた自分の秘書であり、頼れる片腕である男からだった。
素早く全部に目を通す。
カタカタとキーボードを打つ音が心地よく耳に入ってくる。
こうして仕事をしている方が充実している。
あれこれ考えている方が好きだ。
なのに、何故伯父と伯母は今更高校に入れなどと言ったのだろう。
大切な時間が刻一刻と無駄に終わっていくだけなのに。
アメリカでの飛び級制を使って、もう大学も卒業して博士号まで持っている。
だからこそ、分からない。
だからこそ、早くアメリカに帰りたい。
茶番に付き合ってる暇はないのよ?
〜♪
ケータイの着信音で、ふと我に返った。
この音は確認するまでも無く、の片腕のルー・スウォードからだ。
「ルー、そっちはどう?」
『ええ、こちらは特に問題ないですが。社長、いつ頃戻られますか?』
「……暫くは無理。ああ、ゴールデンウィークには帰れるかしら。」
『何かありましたか?』
「問題ないわ。ああ、新しい企画のデータ送るから、そのチーム編成よろしくね。」
『わかりました。』
「じゃあ、頼むわね。」
耳に入ってくる英語が好き。
右を向いても、左を向いても、そこに居るのは自分から見れば外国人。
そんな中で育っていった。
だから自然と英語が身についた。
なのに、今更。
本当に、今更。
母国語である日本語が嫌いな訳ないけど、それでもやっぱり馴染みにくい。
挙句の果てに、学園生活に馴染めという。
溜息しか出てこない。
誰が馴染む?
馴染むつもりは更々ない。
だからこそ苦痛でしかない。
そんな無駄な時間、退屈な時間が午後からも続くのかと思うと嫌気が差してくる。
日本に帰ってきてから何度目かの溜息を深々と吐き出した。
――ガチャ
突然、開くはずのないドアが開く音が聞こえてきた。
キーボードを打つ手を止め、息を殺した。
私以外にココの鍵を持っているなんて話は聞いていない。
と言うことは、必然的に現れたのは伯父か伯母のどちらかだろう。
何か言いに来たのだろうか。
そう思った時、聞こえてきた声に止めていた息を吐き出した。
予想していた人物とは違う男子の声で、「メシ」という単語を連発している。
そこで、もう一つの可能性が思い浮かんだ。
観世音の養子である焔とその友達か。
光明の養子である三蔵とその友達か。
こんなに騒がしい友達がいるということは、おそらく後者の三蔵たちだろう。
自分には関係ないことだし、ココは死角になっているだろうから気付かれることもないだろう。
そう判断して、再び画面へ視線を戻し、キーボードに指を走らせた。
アメリカの会社用の新規の企画案が形作られていく。
「メシ、メシ―――!!なぁ、八戒っ!早く、早く!!」
屋上のドアを一番に開けて外へ飛び出した悟空。
その後ろからは、八戒、悟浄、そして三蔵が続いた。
「はいはい。すぐ出しますね。」
いつもの悟空の言葉に苦笑しながらも、八戒は遠足用かと思われる重箱を座った彼らの前へと置いていく。
欠食児の悟空。
ずぼらな悟浄。
そして、あまり自分の事を気にしない三蔵。
そんな彼らの為に、毎日世話焼きな八戒がお弁当を作って来ているのだ。
しかも、四人分とは思えないような量のそれは、軽く十人前はあった。
それでも、いつも米粒一つたりと残ったためしはなかった。
広げた端から、待ちきれずに悟空と悟浄の手が出る。
彼らの取り合いに、我慢ならずに三蔵のハリセンが落とされるのもいつものこと。
そして十分とせずに、それらは全て四人のお腹へと納まった。
食後の一服とばかりにタバコを取り出す三蔵と悟浄。
タバコに火をつけ一息吸い込んだ三蔵に、悟浄が少し深刻な面持ちで話しかけた。
「なぁ、三蔵。」
「なんだ。くだらん事なら殺す。」
「……さっきの、転校生…だよな?」
「フン、見りゃ分かるだろおが。」
やはりくだらん事だと紫暗の瞳で睨みつけた。
おおかたの外見に見惚れて、口説き落とそうとでも考えてるんだろ。
いかにもコイツの考えそうなことだ。
「…って事は、彼女、俺らと同じ年だろ?」
「おい。春の陽気でバカな頭が余計にバカになったな。」
「んだと!!」
「まあまあ、悟浄。落ち着いて。ですが三蔵、僕もハッキリ言って気になります。」
そんな八戒の言葉に三蔵の眉間に皺がよった。
気になっているのは三蔵とて同じこと。
だが昔のの事を知っている分、三蔵の方が余計に気になっていた。
昔に何度か会ったは、今のような雰囲気ではなかった。
人懐っこい笑顔を浮かべては、よく自分にくっついてきていた。
何度離れろと言っても、逆に離れようとしなかったに、諦めながらも一緒に遊んでいた。
そんな時、の両親の仕事の関係で、彼女は渡米してしまった。
次に会ったのは、の両親の葬儀の時。
面と向かって会ったわけじゃなく、遠目でチラッとしか見ていない。
その時のは、涙を堪えながら弔問客にしっかりと挨拶していた。
自分と同じ十歳とは思えないそんな姿に、胸の奥が痛んだことを今でも覚えている。
そしてゆっくりと話す暇もないまま、はアメリカへと帰っていった。
それっきりだった。
六年ぶりに会ったは、何もかもが冷たかった。
昔の面影すら探すのが困難なほどに変わってしまっていた。
「三蔵?聞いてます?」
「ああ?」
「いえ。ですから彼女、車を運転していたそうなんですが……。」
「おおかた国際免許でも取ったんだろおな。ずっとアメリカにいたからな。」
そうだ。
連絡もなく、ただアイツの両親の会社が軌道に乗っていることのみが、アイツがそこにいるという確かな証だった。
それが、突然同じクラスに転校してきた。
帰国も昨日だという。
何もかもが、突然すぎて。
自分の父である光明からも何も教えられていなかった。
だからこそ驚いた。
「何?三蔵サマ、知り合い?」
「……。」
「なぁ、ゴーヤ麺って旨いの?」
「いえ、ゴーヤ麺ではなくて、国際免許ですよ。」
「…なんでも食いモンかよ。この脳味噌胃袋猿が!」
「むっか〜!猿って言うなよな。このエロエロ河童!」
それまで傍観者だった悟空が話しに入ってきた。
が、それをからかう様に悟浄が茶化す。
当然悟空も言われっぱなしで黙っていられるはずもなく。
またしても言い合う声が、だんだんとエスカレートしていく。
「もう、知りませんよ?」
八戒がそう言った次の瞬間響き渡る乾いた音。
「「ってえな!!!何すんだよ、三蔵!!」」
「るせえ。ちったぁ静かにしやがれ!」
メールを送り終えたは、パソコンを鞄へ戻して立ち上がった。
騒がしい三蔵たちの会話に、自分の事が上がっているのだと分かると溜息が出る。
帰ろうと思ってはいるが、おそらく彼らに見つかるだろう。
昼休みが終わるまで待ってもいいが、それこそ時間の無駄である。
思案していると、三蔵の怒鳴り声の後に、自分の胸元で鳴りだすケータイの着信音が…。
「ルー、何?」
これで完全に気付かれただろう。
まあ、いいけど。
半ば諦め気味に、だがルーとの話は的確に答えてからケータイを切った。
案の定、から見える所に先程教室へ入ってこようとしていた男子生徒二人が見えた。
「何か用かしら?」
「…いえ。あの、初めまして。猪八戒と言います。」
人のよさそうな笑顔を向けてくる八戒。
その隣にいた紅い髪の男に「ああ、昨日の……。」と言葉が口をついて出てきた。
「覚えててくれたんだ。嬉しいね。俺は、沙悟浄。ヨロシク、綺麗なお姉さん。」
「何?何!?うわっ。すッげぇ綺麗。俺、悟空。孫悟空、ええっと……。」
茶髪で大きな金色の瞳をした少年が二人の間から顔を覗かせた。
耳と尻尾があれば子犬みたいだな、と思えてしまうほど元気がよかった。
「。…じゃ、私帰るから。」
「おい、。」
「何かしら、三蔵。」
「テメェ、帰るってどういう事だ。」
「そのままよ。今から仕事だから帰るのよ。金蝉に伝えといてね。」
不機嫌な紫暗の瞳を真直ぐに見据えて、必要な事しか話さずには屋上を後にした。
日本の本社に顔を出さないと。
次の企画は、日本とアメリカの共同企画にしようと考えているし。
向こうはルーに任せてあるから、こちらで使える人材を探しておかないといけない。
どのみちアメリカには暫くの間帰れそうにないのだから、これぐらいしておかないと。
教室に戻り、荷物を纏めて駐車場に向かった。
頭の中はもう、仕事の事でいっぱいだった。
そう、その方がいい。
忙しく仕事をしている方が。
それが私らしくて…………いい。
NEXT
補足:
アメリカでは大抵16歳になれば免許を取得することが出来るそうです。
また、国際免許とは海外旅行など海外で自動車を運転するために必要な「国外運転免許証」のことです。
これがあると、ジュネーブ条約加盟国で自動車を運転することができます。
後書き