―――音楽界に一人の天使が舞い降りた。―――

肩までの藤色の髪に、深い蒼い瞳を持つ天使は と言った。
彼女の奏でる音色は、聞いた人全てを魅了する。
彼女の微笑みは、見た人全ての心に深く刻み込まれる。
けれども、そんな人達の顔をは見ることは無かった。

何故なら、の双眼は二年前から光を映していない。
そう・・・・・

彼女は、音楽界の「盲目の天使」なのだから。




―――blind angel――― ”beginning”




目が見えなくなる前から、はずっとピアノを弾いていた。
世界各国のピアノコンクールにも出場し、いろいろな賞を取っていた。
テレビにも何度か出演した。
それはひとえに、腹違いの兄を探すという理由の為に。




が15才の時に告げられた事実。
2才年上の腹違いの兄がいる。
彼は、と同じ藤色の髪にそれと同じ瞳を持っている。
そして、彼の額には痣の様な薄い赤い点が三つ。
それはの左鎖骨の下にあるものと同じだという事。




けれども、父は名前までは教えてくれなかった。
忘れたのか、故意なのか、それはもう解らない。
何故なら、その後父は死んだ。
そして母も後を追うように逝ってしまった。



はただ一人・・・・・現実に残された。
一人になっても挫けなかった。
何故なら、生きる理由があるから。
自ら命を捨てても何も変わらないから。

でも、その頃から目が見えなくなってきた。
ゆっくりと、確実に蝕んでいく病は不治の病。
一度光を失えば、二度と戻る事は無いと告げられた。
だからそれまでに見つけたかった。
少しでも兄の姿をこの瞳に映したかったのに、叶わぬ願いに終わってしまった。
でも・・・、それでも兄を見つけるという事は諦めてはいない。
たとえ目が見えなくても、心で引き合うはずだから。







そして今日もはピアノを弾く。
・・・・・・・・・一つの願いを乗せて。








ふわっと暖かい空気がを包み込んだ。
いつの間にかソファーに座ったまま寝ていたらしい。
小さな欠伸をしては立ち上がった。


ここはの暮らすマンション。
目が見えないに優しく、すべてバリアフリーで手すりも最初から付いていた。
セキュリティーもしっかりしている。
そして何より防音設備が備わっているという事だった。
ピアノを弾くにとっては一番の条件。
必要最低限のものしか置いていない室内に、盲導犬はいなかった。
頼っても良かったのだが、外出する時は必ずマネージャーがついていてくれるし
家にいる時は何処に何があるか全て覚えているので問題は無かった。
料理だってしようと思えば出来るけど、必ずマネージャーが作って冷蔵庫に入れておいてくれる。
だから、後はレンジで温めればいいだけになっている。


「あっ、そういえば今日はまだかな?」


いつも昼頃に来るマネージャーがまだ来ていない。
窓辺から差し込む光の暖かさで、もう昼にはなっているだろう。
はチェストの上の時計を押した。
軽快な声で時刻を知らせるそれは「1時10分」だと言った。
彼が来ないと昼食は無い。
別にお腹がすくわけでもないが、3食食べないと一度お小言を言われたのを思い出した。
笑みを漏らし、はピアノに向かった。
彼が来るまで弾いていよう。
弾いていれば時間が経つのも早い。


部屋の中に優しい音色があふれていく。











ガサガサと袋の擦れる音がする。
それも気にせず、急ぎ足でマンションの通路を行く男が一人。
漆黒の髪はウルフカットで、その下に見え隠れする瞳は金と蒼のオッドアイ。
のマネージャーの焔だった。
一つのドアの前で立ち止まり鍵を差し込んだ。

、遅くなってすまない。」

ドアを開けるとピアノの音が微かに耳に届いた。
フッと焔の口元がゆるむ。

また弾いているのか。
なら、今のうちに食事を作ってしまおう。

勝手知ったる何とやらで、さっさと中に入りキッチンへと向かった。
ピアノを弾いていてもの事だ、自分が来たことに気付いているだろう。
目が見えない分、異常に発達した聴覚では天使の音を得た。
もともと覚える事が得意だった上に、一度聴いたら忘れない記憶力と絶対音感までも手に入れた。
それでもピアノをやめないという事は、自分の世界に入っているという事。
それが解っているから、焔は声をかけずに料理にとりかかった。













、次のステージが決まった。」

食事を終え、紅茶を飲みながら焔が口を開いた。
も自分のカップをガラス製のテーブルに置いて、焔に向き直った。

「何処?」
「今回は、都内でソロコンサートだ。」
「・・・・・えっ?!」

あまりに突然の事では言葉をなくした。
今まではコンクールに駈けずりまわっていたのに、何故突然、しかもソロコンサートなのか?

「不安がらなくてもいい。俺がついてる。」
「う・・・・ん。でも、何故?」
「音楽業界(クラッシック界)が放っておけないと言う事だ。
 知らないのか?『盲目の天使』の噂。」
「何それ・・・。」
の事だ。音楽界に現れた天使の音色を奏でる盲目の少女。
 コンクールに出続けて全ての賞を総なめにしている彼女は・・・・・・。って。」

少し呆れ気味な声音に肩をすくめて、ははにかんだ顔を向けた。

「総なめって・・・ちょっと。」
「事実だろう。」
「うん。でも、私はただ兄さんを探しているだけなのに。」
「いい機会だと思うがな。コンサートならお前一人を見に来てくれるだろう?」
「そうだけど。大丈夫かな?」
「心配するな。」

ポンと頭の上に置かれた焔の手に安堵する。
告げられたコンサートの日付は、今日から二ヶ月後だった。





それが、運命の始まり。





















都内で見られるようになったポスターの前で二人の男が立ち止まった。
一人は藤色の髪を後ろで一つに纏め、瞳は細く閉じられていてその色を知る事はできない。
もう一人は茶色の髪を逆立たせ、右目に黒い眼帯をしている。
そして左目は、射抜くような鋭さを隠し持っていて髪と同じ茶色をしていた。

「おい、紫鴛。お前、妹なんているのか?」
「是音・・・。貴方とは長年の付き合いをしているはずですが。」
「だよな。けどよぉ、珍しいな。お前と同じ髪の色なんて。」

是音が紫鴛の髪と、ポスターに写っているピアニストの少女の髪を見比べている。
確かに両者とも綺麗な藤色の髪をしていた。
ふと、是音が彼女の肌に目を留めた。
あまりハッキリとは解らないが、何か小さな点が三つ鎖骨の辺りにあることに気付いた。

「紫鴛。お前のそれ、生まれつきだよな?」

是音が紫鴛の額に視線を向ければ、「何を今更。」と空気が動いて彼の手がその額に触れる。
そこには、小さな紅い点が三つ。

「だよな。なら、コレはどう説明するんだ?」
「説明しろと言われても、この方とはお会いした事などないのですよ?知るはずなど無いでしょう。
 それに、写真の写り方のせいかも知れないではないですか。」
「その線もあるけどよぉ・・・。」
「何が言いたいのですか。」

肩をすくめる是音に、紫鴛が詰め寄る。

「聴きに行っても悪かねぇなって思ってよ。」
「・・・。本気ですか?貴方がクラッシックですか。」
「お前、柄じゃねぇって思っただろ!?」
「よく解りましたね。でも、まあ確かに気になってしまいましたしね。貴方のせいですよ、是音。」
「はいはい。奢らせていただきます。」
「できれば最前列のアリーナでお願いしますね。そこ以外でしたら私は行きませんので。」

マジかよ。。。と空を仰ぎ見る是音に、フッと口元を緩めた。
確かに久しくクラッシックなんて聴いていませんでしたしね。
クラッシック界に現れた盲目の天使ですか。
一度聴いてみても損はないでしょうね。



彼らのこの会話が、運命の、全ての始まりだった。










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