風が吹く。
それぞれの想いを含んだ風が、京の都を吹き抜けていく。
◆◆◆ 序章 ◆◆◆
八月も終わろうかという頃の深夜。
澄み切った神気の漂う静かな貴船の山中。
これがつい先日まで魔物たちの巣窟と化していたなんて、一体誰が考えるだろうか。
それだけ凄まじい霊力に包まれた霊峰。
その中にぼんやりと光る青白い光。
ゆらゆらと揺れるそれは狐火だった。
光に先導される形で歩み行くのは、満身創痍の一匹の狐。
船形岩の上で、空に輝く星をなんとはなしに眺めていた、人とは思えぬ美しい女性が何かを感じて視線を闇の広がる木々の間に向けた。
闇の中、ポウッと光る青白い狐火。
「ほう。珍しい客ではないか。」
切れ長の目元をすいっと細め、その姿が現われるのを待った。
足を引き摺るような音共に天孤が、貴船の龍神高淤神の神の前にその姿をさらした。
船形岩からひらりと舞い降りた高淤神は、グラッと力尽き倒れて行く天孤を抱き留めた。
深手を負っているが、この貴船の結界内に追っ手の気配はない。
遠方からこの傷で逃げてきたのか?
にしても、天孤といえば神に通じると言われる程の神力を有する妖。
同族意識も強く、仲間がこのような危機に陥った時には、何処にいてもその声は必ず眷属の元へと届くはずである。
なのに、何故?
「高淤神・・・よ。我は・・・天孤一・・・族晶霞の・・・妹、晶瑛。」
荒々しい息と一緒に吐血しながらも晶瑛は言葉を繋いだ。
「晶霞の・・・最愛の子を・・・どうか・・・」
「それは安倍晴明の事か?」
軽く眉を寄せる高淤神に、晶瑛は弱々しく頭を振った。
そして途切れ途切れに語られていく内容に、高淤神は感嘆の声を落とした。
すべてを話し終えた晶瑛は、最後の力を振り絞り高淤神の腕を離れ、北斗の方角に頭を垂れた。
古代中国には、特別な霊力を持った白狐は常に北を枕に死ぬと信じられた。
それは、こうした霊孤は北斗七星を祀ることで神通力を得ていると考えられたからである。
晶瑛の行動が、まさにその言い伝えが本当であることを物語っていた。
「安心して眠るがいい。」
穏やかな声が高淤神から発せられると、晶瑛はふっと表情を緩め、短い言霊を紡いだ。
晶瑛の身体を青白い光が包み込み、それが尾の先へ集まる。
丸い、丸い光の珠。
まぎれもなく晶瑛の天珠。
天孤の心臓であり、命と力の源となるそれは、妖異によるいかなる呪咀も浄化するといわれている。
そして晶瑛は血塗れの前足を己の腹にあてがうと、一人の幼子を霊力で守られた結界から取り出した。
狐の姿ではなく、ちゃんとした人間の幼子。
何も知らず未だ眠っている子に慈愛の目を向け、己の天珠をその子の中へと導いた。
これから先、何かあった時に必ず役に立つだろう。
何より、姉が今まで守り通した大切な大切な子なのだから。
そして晶瑛は命の火を消した。
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