――次の日





回廊を歩いていたは意外な人物に出会った。
一人は今朝も会った絳攸。
その彼に連れられて歩いているのが、侍憧の姿をした秀麗と髭もじゃの男だった。
何故秀麗がここにいるのか疑問が過ったが、考えてみれば単純明快な事だと思いついた。
先だって主上が女人国試制導入発言をかましたらしいし、絳攸の事だから実際に見てもらえばと考えたのだろう。
それに戸部は万年人手不足。
借りれるなら猫の手も借りたいくらいの危機的状況に陥っているのだと、景侍郎も頭を抱えていた。
連日、も手伝いに行っていたが、さすがにずっとというわけにはいかない。

「それにしても、突拍子もない事を思い付く。」

小さく零しながら見ていると、案の定検討ハズレの方角に足を進めている。
これじゃあいつまで経っても戸部には辿りつかない。
やれやれ、と肩を竦めたは彼らに声をかけた。

「李侍郎、これから戸部に?」

突然のの声に、絳攸は驚き半分、安堵が半分の表情で答えた。
なにぶん、迷いだしてかれこれ経つのだから仕方ない。

「玲吏部尚書代理。」
「彼らは?」
「はい。今日から黄尚書付きの雑用係として働いてもらう」
「紅秀です。」
「浪燕青です。」

二人は胸の前で両手を組み合わせた礼をとった。

「玲だ。戸部に行くなら一緒に行こうか。」
「いえ。様の手を煩わすわけにはいきません。」
「そんな事はないよ。私も戸部に用事があるから。」

絳攸の返事を聞かずに、は視線だけで促して歩きだした。
もちろん、先程絳攸が曲がろうとしていた角とは反対方向に。

「玲吏部尚書代理?」
「ん?あぁ、ちょっとゆっくり行こうか。」

絳攸が不思議そうに回廊を見比べて首を傾げている。
自分が道を間違えているとは思っているようで、思っていなかったようだ。
絳攸の自尊心を傷付けないような言い回しで、は再度促した。



















戸部の中をあっちにこっちにと休む間もなく走り回る秀麗、否、秀。
見ていて感心するくらいの働きぶりだ。

鳳珠は目通しした時すでに気付いた。
僅かに纏う気が揺れたからすぐに分かった。
でもそれについて触れるどころか、逆に仕事を溢れるくらい与えているという事は、少なからず絳攸の策に乗ってくれているのだろう。
燕青も各部署に振り分けられた書翰を運んでる頃だろう。
見た目はもじゃ髭の不振人物極まりないが、その眼光、その動き、どう考えても只者じゃない。
あの静蘭が秀麗と一緒によこしたのだから信頼に値する人物なのだろうが。
それよりも、なによりも、解らない事だらけの中で、それでも一生懸命に与えられた仕事をこなしている秀麗はさすがといえた。
は表情を緩めながら、駆け回る秀麗を見つめていた。

「休む暇はないぞ。」

不意にくぐもった声が降ってきたが、それに怯む事なくは笑顔を浮かべた。

「分かっている。だが、もう処理済みだ。」

そう言って、は机案の両脇に山積みの書翰を一瞥する。
それを聞いた景侍郎は感嘆の息を吐き出した。

「本当に、は凄いですね。貴方が手伝ってくれて大分楽になりましたよ。」
「そう言ってくれると嬉しいよ。」
「吏部より戸部に来てほしいくらいです。」
「柚梨、あのくそったれが手放すわけはない。それに、あれに仕事をさせる事のできる人間なんてそうはいないからな。」

鳳珠の言葉に納得した景侍郎は穏やかな笑みを浮かべた。

「そういう事。じゃあ、そろそろ戻るよ。」
「いつでも来い。仕事なら腐る程ある。」

来る理由を作ってくれる鳳珠に笑顔で頷いて、は最後に秀麗に労いの言葉をかけて戸部を後にした。















悪鬼巣窟の吏部。

つい先日、官吏達を使い物にならないようにしてしまったが、さすが人格改造の吏部である。
次の日には最低限の仕事が出来るくらいには回復していた。

が――。

黎深との約束の期日を過ぎても戸部に足を運んでいるに腹をたてた――へそを曲げた――黎深がまた仕事を放棄しつつあった。
午前中だけ戸部に手伝いに行っていただけなのに、何故こうも大量の書類や書翰が湧いて出てくるのだろう。
は盛大な溜息を零しながら吏部に入っていった。

「やっと戻ったか。」

最奥の机案についていた黎深が尊大な態度で口を開いた。
天上天下唯我独尊我が儘大王の相変わらずの態度に何も言えず、は無言でこめかみを押さえた。
あのまま戸部にいた方がよかったかも、と思ってももう遅い。

「黎深。」
「なんだ?言い訳くらいは聞いてやらなくもないぞ。」
「こんなに仕事をためていたら、暫くは吏部から出れないな。」

の言葉に、してやっりと口角を上げた黎深は扇を広げた。

毎日毎日、を戸部にやってなるものか。
今まではたまにしか会っていなかったのに、この期に乗じて鳳珠に手を出されてはたまらんからな。
戸部より吏部を忙しくすればいい、そう考えての事だった。

「黎深は吏部から出れなくてもいいのかい?」
がいてくれさえすれば」
「なら、その旨一筆したためて。」
「ああ、かまわないぞ。」

そう言って、黎深はにこやかに手近の料紙に筆を走らせた。
もちろんも笑顔を浮かべている。
吏部の官吏達は、触らぬ神に祟りなしを決め込み、自分たちの前にある仕事のみに意識を払っていた。
かかわったらかかわったで、また再起不能になるのは疑いようがないから好き好んでかかわるやつはいなかった。
書きあがった書に満足して、は仕事をする為に自分の机案についた。
まず手近の書類に手を伸ばす。
その内容に目を通しながら、思い出したように口を開いた。

「そういえば、1ヶ月程戸部に行かなくてもよくなったよ。」
「ああ。仕事が山積みだからな。」
「それもそうだけど。今日から戸部尚書個人付きの侍憧が来たんだ。」

ほぅ。と短い声が洩れる。

たかが侍憧に、あの鬼のように仕事を振り分けるあいつの雑用係が勤まるわけがない。
いつまでもつか見物だな。

自然と上がっていく口角を隠すように、扇を開いて口元にあてる。

「名前は、確か紅秀と言っていたな。」
「紅秀か。……何ッ!?それはもしかして」

勢い良く立ち上がった黎深だったが、次の瞬間には再び椅子に沈められていた。
もちろん、それをしてのけたのはだが。
黎深に負けず劣らずの爽やかな笑みをその顔に貼り付けている。

「黎?行けると思っているのかい?」
「ふん。仕事なんてしていられるか。」
「そう。なら、この書類に認証印を押してからならいいよ。」
「本当か?」

幾分上ずった声と、緩みまくる表情の黎深だったが、いざ印を押そうとして動きが止まった。
そこに書かれていた内容は、の異動に関しての事だった。
視線を書面からに移すと、それはもうにこやかな笑みを顔いっぱいに貼りつけているのだから始末に終えない。



仕事を放棄して秀麗に会いに行くか、鳳珠にを取られるか。



究極の選択を迫られた。









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