夢を見た。

忘れる事ないあの頃の。

夢を――










夏本場の暑さが容赦なく降注ぐ。
眩しくて目を細めながら回廊を歩いていると、前方に見知った人物の姿をとらえた。
右往左往しているのは、十中八九道に迷っているせい。
吏部に用事はないはずだから、おそらく主上の執務室への帰りだろう。
誰かに道を聞いたらすぐなのにそれをしないのは、宮廷随一の歩く頭脳、鉄壁の理性である高い矜持が邪魔をしているせい。

会いたい。
影からそっとでかまわないから。
夢を見たから。

そう思ってしまったは立ち止まり、絳攸が来るのを待った。

「こんにちは、李侍郎。どちらへ?」

突然話しかけられた絳攸は、まじまじと目の前に立っている麗人を見た。
結い上げた漆黒の髪は耳元の一房を残して冠にしまわれ、鋭い紫暗の瞳がそれでも柔らかく細められている。
どこをどう思い出してみても、彼との面識は皆無。
年の頃は楸瑛や自分と変わらないだろうか。
人事を司る吏部の、しかも侍郎職に就いている自分が知らないのはおかしい。
下位の官吏ならともかく、目の前で穏やかに微笑んでいる彼の冠は高官のもので。

「あの・・・失礼ですが、貴方は」
「あぁ、君とは初めてだったね。君の上司といえば解るかな。」
「私の上司は紅黎深様です。紅尚書以外に・・・まさか、玲吏部尚書代理ですか!」

今、宮中で話題の幽霊官吏。
悪夢の国試組の一人。
そして、あの紅尚書に仕事をさせる事が出来る玲吏部尚書代理その人か。
無意識に生唾を飲み込んだ絳攸に、はふっと笑みを溢した。

「そんなに畏まらなくてもいいよ。それより、どこに向かっていたんだい?」
「あ。いえ、その・・・主上の執務室に。」
「それなら、私もご一緒しよう。」

相変わらずの方向音痴ぶりに苦笑しながら、はさりげなく絳攸が来た道を戻っていった。
隣を歩く絳攸の戸惑いが目に見えて解る。
何度も口を開きかけては閉ざしを繰り返している。

「なんでもどうぞ?答えられる範囲でなら、望む答えをあげるよ。」

の言葉に、決まり悪そうに表情を歪めたものの、それでも好奇心には勝てなかったのだろう。
次の瞬間には口を開いていた。

「玲吏部尚書代理」
「玲吏部尚書代理なんて呼びにくいだろう。でかまわない。」
「では様、貴方は黎深様と同期で国試に及第されたと聞き及んでいます。」

声を出さずにただ頷き返したは次の言葉を待った。

「私は六年前の国試で史上最年少で状元及第しました。ですが・・・。」
「こう見えても三十歳なんだけど?」

にこやかに答えたに絳攸が目を見張る。
どこをどう見ても三十歳には見えないからだ。
楸瑛や自分と同じくらいだと思っていたので、衝撃が強かった。

「本当ですか!?」
「嘘。」
「なッ・・・」

即答された内容に再度唖然とし立ち止まってしまった絳攸に、が軽く吹き出した。
はっと我に返った絳攸は、ばつの悪さに咳払いをして居住まいを正した。

様・・・」
「悪い悪い。私の年は色々あったから、うやむやにされたんだろ。」
「う、うやむや・・・ですか。」
「聞き知っているだろう?私の後見人は彼の狸だから、うやむやになっても不思議ではないと思うけどね。」

本来ならばうやむやになどなるはずがないが、の言った『彼の狸』ならやりかねない。
そう思わせるものを持っているのだ。

朝廷三師の一人、霄太師は。

「では・・・実際は」
「君の一つ上だよ。」

再び固まる絳攸。
そんな絳攸の背を押して、いつの間にか辿り着いた主上の執務室の扉を叩いた。

入室を許可する声がした。

それは扉越しで少しくぐもってはいたが、の心を打つのには十分だった。

遠い遠い過去の記憶。

今朝見た夢。

何もかもを繋げる糸。




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